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現在、雑誌やwebに11本の連載を抱え、ラジオ、衛星放送のF1解説などでも活躍する
モータージャーナリスト、熊倉氏。
雑誌編集者から活躍のフィールドをさらに広げるべく、
10年前にフリーランスとして独立。
一方、FJ1600やスーパー耐久の仕掛け人でもあり、
クラシックイベント『ミッレ・ミリア』を初めて日本に紹介、
'96にはJAFの全日本電動自動車レース初代シリーズチャンピオンになるなど
その活躍は多方面に及ぶ。
現在、年間250〜350台のクルマを試乗する。
今回は、その独自の切り口には定評がある熊倉氏を訪ねた。

モータージャーナリストとして幸せな世代。

 僕の子供の頃、時代の最先端はクルマしかありませんでしたから、みんな自然にクルマに興味を持ちましたね。高校時代は同人誌を作っていたくらいモノを書くことも好きだったので、自分のやりやすいことで考えたら、クルマ関係で文章を書く仕事だったんです。大学4年の時、購読していた雑誌で編集部員募集広告を見つけて応募したのがこの世界に入ったキッカケです。
 入社は1970年ですから、日本の高度成長期から、'80年には日本が世界一の自動車生産国になり、'90年代バブルの高級車ブーム、そして環境・次世代エネルギーに移行する'00年代と、日本のモータリゼーションが二次曲線的に変化していく様子に常に関わってくることができました。本当に毎日スリリングで面白くて、モータージャーナリストとしては最も恵まれた世代だと思いますよ。今はさらに技術の進歩も急速になって、新しいモノ好きの僕としては凄く面白い時代ですね。

クルマの味方。

 ジャーナリストは『消費者の味方です』っていう暗黙の了解がありますが、僕はそうじゃないんです(笑)。消費者の誤りで間違った商品づくりに走った事例もありますからね。もちろんメーカーの味方でもなく、どちらも等距離におき、敢えていえば『クルマの味方』ですね。よく「今一番欲しいクルマは」と聞かれますが、年間350台近く試乗する中で、僕はその日に乗ったクルマが一番欲しいクルマになってしまうんです(笑)。ハード面は自分が測定機器になって評価しますが、もう一方『用途』という面から、そのクルマに似合う乗り方や服装、顔つきまで(笑)完璧にイメージできて、その気分に入り込めるんです。ラリーカーならラリードライバーだし、高級車ならゴルフバックをつんだ日曜のオヤジとか。精神的なコスプレですね(笑)。気持ちを入れ込んでしまうと、その時そのクルマが一番欲しいクルマになるんです。
 以前から思っていますが、例えば『英国車が云々』とか『国産車はまだまだ』とかいう括りは意味がない。それは『気さくなアメリカ人』『底抜けに明るいイタリア人』というようなもので、人嫌いなアメリカ人もいるし、暗いイタリア人もいる(笑)。やはり、人間なら個人を見て欲しいと思うように、クルマもそのクルマを見て評価するべきだという見方をしています。一方、クルマづくりの社風というのはあります。例えばスバルのクルマづくりは、同じ日本のトヨタより実はアウディに近い。そういった面でも外車、国産という括りは無意味なんです。
 また、マニアックな人は「マニュアルシフトがクルマの醍醐味」といいますが、僕はAT派でもMT派でもありませんし(笑)ターボ対ノンターボとか、どちらでもいいんです。僕はそのクルマごとに合った用途と良さが重要だと思っています。

「汽水域」の時代。

 今一番大きなキーワードは『環境』です。時代はそこに急速に流れていって、極論すれば『クルマとは本来、電気自動車のことだ』と僕は思っています。クルマの本質は好きな時に好きなところへ移動する手段を個人所有できる『モビリティーの自由』なんです。それを実現するハードウェアたるクルマが、危機的に悪化していく地球環境の中で対応ができなければその自由が規制される事態もありうるわけです。それが一番怖いことです。クルマは一部マニアだけの物ではありませんから。ある日急に『内燃機関禁止』となっても僕は未練はないですね。すぐに電気自動車のチューニングに走ってますよ(笑)。
 今は『汽水域』、つまり川が海に出て淡水と海水が混ざり合い魚介類の宝庫となる水域ですが、そんな時代です。まだ未完成ながら新しい技術のクルマがどんどん生まれる一方、滅びるのはわかっていながら、たぐい稀な完成度を誇る内燃機関のクルマ。そのどちらも選べる幸せでスリリングな時代です。僕としては楽しくて仕方がないですね。
 この10年程、洋の東西にかかわらずクラシックカーイベントが増えています。楽しいし、否定しませんが、それは一時代を切り取ったスチール写真のようなもので、一つの価値観を続けていきたいという思いと、これから先の変化への不安があるようにも感じます。でも、確実にクルマは変化していくわけで、それに怯えるのではなく、どうせ変化するのならより良い方向へ変化していくように努力すること。これが、我々現役ジャーナリストの役割だと思いますね。




21世紀に入って5年目となるが「クルマはまだ20世紀が終っていません。内燃機関から新しいエネルギーに変わったとき、初めてクルマの21世紀がくると思っています。10年後にどうなっているかわかりませんが、それは確実に近づいていることは確かで、それがとても楽しみです。」
熊倉 重春(くまくら・しげはる) 1946年生 東京都出身

幼少のころからクルマが好きで本作りも好きだったこともあり、そのままクルマ雑誌の業界へ。69年秋から95年夏まで自動車雑誌編集部に在籍。モータースポーツも大好きで、FJ1600などの発案者でもある。編集部員のチームも作り、自分でもドライバーとしていろいろなクラスで60戦ほど参戦。「筑波ナイター耐久」2連勝などの戦歴がある。95年に退社してフリーとなってからは、テスト車だけでも多い時は年間340台以上に試乗。今最大の関心事はエネルギー問題。

 

 

 

   
ジャーナリストでも仕事人として物心が付いた時の価値観というものが染み付いて、以後それに縛られがちになる人も多いという。「例えばツインカムでFRでドリフトさせる楽しさも好きですが、そこが永遠に続くわけではないんです。ですから、僕の場合は、もともとの新しいモノ好きもあって、コンピューターのバージョンアップみたいに常に価値観を変化させてます(笑)」。  


バイクも好きで、現在BMWなど7台を所有。中でも最近は電動スクーターEC-02がお気に入り。「ガソリンの燃料代に換算したらリッター300kmくらいでしょうか。音も静かで洗濯機くらい。こうした電動バイクや自動車が10%くらい走るようになったら街は静かになりますよ。テレビでも電子レンジでもそうだったそうですが普及率が18.5%をこえるとになると、一気に普及するんですね。その加速的に普及する時が楽しみです」。
 
 

 
今シーズン、スーパー耐久クラス2でトップを走る
#2FUJITUBO hpi インプレッサ。
現在2位とのポイント差19で、11/20ツインリンクもてぎでの最終戦に臨む。
ランサーの連覇にストップをかけられるのか、
ファンの熱い注目を集める一戦となる。
吉田寿博選手とともにドライブするのが小泉和寛選手だ。
8年のブランクを経て昨年スーパー耐久に復帰。
昨年は#86hpi・racing インプレッサを菊地靖選手とのペアでクラス4位。
今年いよいよ頂点に王手がかかる。
今回は会社の代表取締役としても多忙な時間の中、
最終戦を前にお話しをうかがった。

ラジコンで世界を経験。

 子供のころ近所では少し有名なラジコン少年で(笑)、小5の時に全国大会初参加で4000人中20位くらいになったんです。その頃には、アライメントや重量配分など、どうセッティングするとどんな挙動をするか一通り理解してました。でも全国転戦の大会会場には遠くて子供一人では行けず“人の力を借りないとレースはできない”事も痛感しましたね。レースにはメーカーの開発者も来ていて、結果を出すと目にとまるので製品テストにも携わるようになり、高校時代にはワークスの一員として海外の世界大会にも行かせていただくようになったんです。各国のメカニックさんとのコミュニケーションの重要さや結果への責任、結果が出ない時のファンの失望、そして辛い時をどうこなすかなどイヤというほど学び、その経験は今も役立っていますね。(笑)。
 ラジコンで世界10位以内に入る頃、実車でのレースを開始しました。1/1になっただけで自分の中ではレースという意識は連続しているんです。最初に走ったのはKP61で、クルマの動きの理解やレースの駆け引きはラジコンの経験が活きました。初優勝は2戦目でしたが、気持ちは一つの勝ちよりシリーズ全体に向いていましたね。
 実車は23才からでしたのでステップアップを急ぎ、ザウルスJr、FJを経て4年目にF3に参戦を開始したところで、父親が急に他界してしまったんです。小さいながらも会社を経営していたので、全くの素人の僕が長男ということで後を継ぐことを決心しました。26才の時です。

レースを断念。

 会社は大型店舗の空調を設計・施工する仕事で、建築や消防の資格が必要なんです。専門知識を学ぶため夜学に通い、昼間は現場という生活になりました。2年程レースと平行したんですが両立は難しく、全てに集中できないので一旦レースを断念。好きなレースでも競うには5年はかかっているわけで、会社も10年はかかると覚悟し、以来レースの情報は一切入れませんでした。本当にもがいていた時期で、先代からの取引先様にも温かいご協力をいただくことができ、人間関係の大切さを改めて感じましたね。
 そうした中でも、レースをやりきらないままで終らせたくない気持ちは強くありました。2002年にはようやくレースができそうな状態になってきたので、まずスポットでレースに復帰し、ブランクの間に自分の能力がなくなってしまったのか、眠っているだけなのか確かめたんです。それで手ごたえを感じたので、本格的な復帰を目指したわけです。もちろん、社内や取引先にもご説明して賛同をいただいた上でのことです。そして、やるからにはチャンピオンを取りたい。そのためには何が必要かは分かっていました。ただ、ブランクのある人間がすぐに乗れるシートがあるわけではなく、自分で確保するしかなかったので、旧知のHPIさんにスポンサーをお願いして一緒に走らせてもらえる状況を作り、昨年からプローバさんのチームでスーパー耐久に参戦させていただけるようになったんです。

レースの中にビジネスが
存在しないことはあり得ない。

 レースに復帰するにも、ただ自分の満足感や、やり残した勝手な思い出のまとめをしたいということではありません。たとえばノーギャラで乗せてあげるから走りますか、と言われても乗らなかったと思います。当然そんなお話しも無いですが(笑)、それは趣味になってしまって、そこにモチベーションはないですから。ラジコン、レース、会社経営という経験の全てをスライドして、今走ることのモチベーションは、スポンサーのプロモーションにいかに貢献できるかということでやっています。自分で会社をやってみると会社のお金を他人に預けることの重さが良くわかります。レースの中にビジネスが存在しないことはあり得ませんから、僕が走ることによって、少しでも利益が出てビジネスとして成り立ち、みんなが満足できたら最高だろうなというのが最終目標になりつつありますね。
 そのためにも、まずドライバーとしての役割を果たさなければ先へは進めませんし、今シーズンの最終戦は大事な一戦ですから、緊張感はあります。クルマも毎戦よくなっていますし、チームも壊れなくて速いクルマづくりに全力を上げてくれていますから、いつもと同じように走ることを心がけ、まず目前の一戦に全力でとりくみたいと思っています。若い頃は自分だけのレースをやっていたので、こんなに多くの人たちが自分たちの出した結果に一喜一憂するという経験はなく、大きなものを背負っていることを強く感じますね。

       
  現在シリーズランキングのクラストップを走る#2FUJITUBO hpi インプレッサ。「マシンのカラーリングやデカーリングはスポンサーさんにとってプロモーションのベースになるところですから、非常に重要な部分だと思います」。今回の#2も模型でのシミュレーションなどをかさね、チームでかなり時間をかけて決定しているとのこと。    
今シーズン全戦表彰台に上がっている#2が、初の優勝を手にしたのが第4戦の十勝。「クルマが良くもってくれて、トラブルは全て想定内どころか、それ以上に壊れなかったことが大きいですね。チームとしての強さだと思います」。7戦の菅生で2勝目を上げ、ポイントリーダーとしていよいよ最終戦を迎える。写真は十勝の表彰台で。右から吉田寿博選手、小泉和寛選手、松田晃司選手、渋谷勉選手。    
91年にフレッシュマンでデビュー、翌92年にはザウルスでシリーズ4位、その年のうちにFJで練習をはじめ、93年にはFJで各地方シリーズの年間26戦に参戦している。ラジコン時代から「いかに速さを見せつけて、なおかつクルマを壊さないで勝つか」をテーマとしている。  
HPIはアメリカで昨年の#86をイベントで使用してプロモーションを実施、ラジコン雑誌やチューニングカーなど8誌の表紙に取り上げられる展開を行なった。「本屋からガソリンスタンド、コンビニなど全米に並ぶので、その広告効果は高いですね。アメリカでもこういう展開は少なく、HPIは上手くマーケティングを行なっていると思います」。小泉選手はアメリカのこのイベントにドライバーとして参加している。
 
これまでフォーミュラでのレースが中心だっただけに「ハコのレースにはフォーミュラをベースにハコ用のノウハウをつくらなければなりませんでした。でも、もやもやしていたところが晴れてからは割合はやく慣れましたね」。今の手ごたえについては「以前レースをやっていた一番いいころの感覚とラジコンで世界で戦っていたころの感覚があるんで、これを基準に今自分がどのレベルに到達しているか判断しやすいですね」。
小泉 和寛〈こいずみ・かずひろ〉1964年生 東京都出身

高校生の頃からラジコンカーのレーシングドライバーとして世界戦でも活躍。1991年にKP61でレースデビュー。翌年にはシリーズ4位を獲得。1993年にはFJ1600に参戦、各地方シリーズの年間26戦に参加。この年にF3にステップアップ。F3に参戦中からS耐久のスポット参戦も兼ねる。1996年よりレース活動を中断したが、2002年より活動を再開。2004年よりスーパー耐久に参戦。今年2シーズン目で現在クラストップを走る。レーシングドライバー。
三恵設備工業株式会社代表取締役。http://www.hpiracing.co.jp/
 

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