ENKEI webmagazine モータースポーツ・ニュース アフターマーケット・ニュース ヒューマン・トーク マッチング・データ ショップ・ナウ インフォメーション
 
'01年、18才でF3デビュー、
初年度に5回の表彰台とシーズンランキング4位(日本人最高位)の成績をあげて
F3新人賞を受賞した山本左近選手。
2年のヨーロッパ転戦を経て昨年から再び国内でF3に参戦、
速さに安定感を加えて今シーズンは
フォーミュラ・ニッポンとスーパーGTに参戦する一方、
10月にはジョーダンのサードドライバーとしてF1のハンドルを握り、
若手ドライバーとして現在最も注目と期待を集めている。
今回はスーパーGT最終戦が行われた鈴鹿サーキットのパドックで
お話しをうかがった。

この子は走らせたほうがいい。

 親がF1好きで、僕も小さい頃からF1を見に連れて行ってもらっていたので、自然にF1の魅力に取り付かれて小学生のころからレースをやりたいと思うようになったんです。でも、家族はもちろん親戚や回りの知り合いにレース関係者は誰もいませんから、どうしたらレースの世界に入れるか分からなかったんですね。小学6年生になる頃、鈴鹿でゴーカートレーシングスクールがあるのを知ったんです。家は愛知で鈴鹿にも近かったし「やらせて欲しい」と親に頼み込んだんですよ。『学校の成績は落とさない』『一年間だけ』という条件付きでやらせてもらえるようになったのが今のキッカケになりました。
 その一年間は、速い遅いよりも、とにかく走ることが楽しくてしかたありませんでしたね。そうして約束の一年が終わる頃「どうなるのかな」と思っていたら、スクールの関係者が「左近君は速いから、もう少し続けさせてあげたほうがいい」と両親に積極的に助言してくれたんです。それで親も許してくれて、中学から高校にかけてレーシングカートでステップアップし、全日本チャンピオンも取れたし、海外レースも経験しました。高校3年のときには鈴鹿のフォーミュラスクールにも通うようになりました。

もう一度自分の基礎堅めを。

 レーシングドライバーになりたい、と自分ではっきり意識したのは18才の誕生日でしたね。父親から「お前、将来どうしたいんだ」と聞かれたので「F1で優勝できるドライバーになりたい。」と答えたんです。そうしたら「お前が本気なら、応援するよ」といってくれました。それまで父はどちらかというとレースには否定的だったんですが、誕生日にこの話しをしてからは全面的に協力してくれるようになりましたね。
 高校を卒業した年にトムスからF3にデビューさせてもらい、初年度で表彰台にも立てたし、シリーズ4位にもなれました。自分の頭の中では『ヨーロッパがレースの本場』という思いがあったので、翌年からヨーロッパに行き2年間走りましたが、途中でチームが解散してしまったりとか、自分にとっては辛い経験が多かったですね。今考えると、想いだけで行ってしまったかなという気がします。事前にもっと細かい準備をして、1年ごとではなく2〜3年という長いスパンで考えてプランをたてなければヨーロッパで通用するのは難しいことも分かりました。
 そんな風に'01年から'03年にかけては常に違う状況、違う国でレースをしていて、バタバタするばかりだったので、もう一度自分の基礎堅めをするために'04年から国内のレースに集中することにしました。今年はフォーミュラニッポンとスーパーGTにも参戦し、一度バラバラになったパズルがまた組み上がってきている感じです。

「そういう風になれる」と
思い描けるかどうか。

 今、学生として大学にも在籍しています。高校2、3年の頃は海外戦や全日本などで学校に行けないことも多かったんですが、人に負けたくないし自分で決めたらやり通したいという気持ちが強かったので、11月から2ケ月半集中して受験勉強をし現役で合格しました。入ったのは総合政策という学部で、世界の様々な地域の歴史、政治、経済、文化から宗教、哲学まで幅広く学ぶんです。たとえば宗教を背景とした文化や考え方の違いとか、イギリスはどのように植民地化を進めたかとか、いろんなジャンルの勉強ができるし、幅広く知識を学べるので趣味として勉強している感じですね。レースとは直接関係ないので、僕にとって大学で学ぶのはリフレッシュの時間になっていますが、これから様々な国の人とチームを組む時に、考え方の違いなどを理解するうえで役立つ部分があると思います。
 僕がトップを目指す上で重要だと思うのは想像力です。自分が「そういう風になれる」と思い描けるかどうかですね。それを想うだけでなく、そこに向かって何が必要なのか、どうしなければいけないかを具体的に考え、その一つひとつを小さな目標として設定し、確実に達成していくことだと思います。走ることの才能も重要ですが、気持ちとかメンタルな部分というのも凄く大きな要素だと感じています。
 今シーズン、F1のハンドルを握るチャンスを得たことは僕にとって本当に大きな体験でした。子供の頃から描いてきた「F1ドライバーになって勝つ!」という目標に一歩近付いたわけです。さらにその目標に近付けるよう、来年を組み立てていくのが今の課題ですね。



今シーズンはスーパーGT500クラスにも参戦。「ハコとフォーミュラはクルマ自体が違うので、乗ってる時のフィーリングも違うんですけど、そのクルマの性能を100%使って速く走るという点では同じなので、特に違和感を感じることはありませんね」。
山本 左近 〈やまもと・さこん〉 1982年生 愛知県出身

'94年 鈴鹿カートレーシングスクール(SRS-K)入校。'95年 SRS-K2年目を迎え、鈴鹿カート選手権RSOクラス参戦。'96年 SRS-K3年目 鈴鹿カート選手権FRクラスに参戦。初戦でPole to Win。
ジュニア・ワールドカップ(ベルギー)出場。'97年 地方カート競技選手権 中部東海地区FA-2クラス参戦、シリーズチャンピオン。'98年 全日本カート競技選手権 FAクラス参戦ARTA1535名の中から7名の中に選ばれる。'99年 全日本カート競技選手権 FAクラス参戦、シリーズチャンピオン。Worldcup in SUZUKA FAクラス出場10位。'00年 鈴鹿フォーミュラレーシングスクール入校。全日本カート競技選手権 FSAクラス参戦 3位。ヨーロッパカート選手権に参戦ベルギー、フランス出場。モナコカップ主催者より招待選手に選ばれ出場。SRS-F優等生としてスカラシップ選手に選ばれる。'01年 全日本F3選手権TOM'Sより参戦 シリーズ4位。イギリスF3ブランズハッチ・シルバーストーンスポット参戦。48thマカオグランプリトムスより参戦。'02年 ドイツF3選手権参戦(GM MotorsportsR)。'03年 欧州選手権シリーズ参戦(TME Motorsports)。'04年 全日本F3選手権TOM'Sより参戦 シリーズ8位。'05年 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦。SUPER GT インターチャレンジ500クラス参戦。南山大学総合政策学部総合政策学科在学中。
http://www.sakon-yamamoto.com/

 

 

 

   
  子どもたちからの『一緒に写真を撮りたい』『サインが欲しい』といった希望に快く応じる。「自分も子どもの頃に、憧れのドライバーからサインをもらったりしてとても嬉しかった思い出がありますからね。今度は僕がサインしてあげることで、子どもたちがモータースポーツを目指すキッカケになったり、ファンになったりしてくれれば嬉しいですね」。  

Photo-A
  #37 OPEN INTERFACE TOM'S SUPRA。同じく愛知県出身の片岡龍也選手とドライブし、第4戦SUGOでは優勝を飾っている。'05シーズンランキング7位。  


  ピットウォークでは多くのファンに取り囲まれ、その人気と注目度の高さがうかがわれる。「ファンの人が応援してくれるのはとても嬉しいですね」。左は片岡龍也選手。  

Photo-B
Photo A.B.by T.I.P.P./Taro IMAHARA
 

 
伊藤真一選手といえば、ワークスライダーとして全日本500ccチャンピオン、
世界GP参戦、鈴鹿8時間耐久2回優勝の快挙を成し遂げ、
スーパーバイクでもチャンピオン獲得と、
モーターサイクルの世界では知らない人はいないトップライダーだ。
現在テストライダーとしてGPマシンとGPタイヤの開発にも携わる一方、
国内モーターサイクルレースの最高峰JSB1000に参戦、
'05年のチャンピオンを獲得している。
クルマ好きとしても有名で、宮城で輸入四輪車のショップを経営するかたわら、
'04年よりスーパー耐久にポルシェで参戦。
今回は伊藤真一氏にお話しをうかがった。

人間ががんばって勝つしかない。

 バイクに乗ったのは17才で免許を取ってからです。峠を走るのが流行っていて、当時僕は125ccしか買えなかったんですが、負けるのは悔しいんで朝晩練習して排気量の大きいマシンをカモってました(笑)。ビデオで見たGPライダーのケニー・ロバーツやスペンサーの走りに衝撃を受け「あんな風に走りたい!」とワザとタイヤを滑らせてコントロールする練習もしましたね。でも、その時はレーシングライダーになろうとは思ってもいませんでした。たまたま近くのバイクショップで「レーシングチームを作るから」と誘われて初めて菅生サーキットを走り、市販車ベースのクラスにデビュー、いきなり3位だったので「才能あるかも」(笑)と思ってしまったんですね。自宅が菅生に近いこともあって、それからレースの世界に入ったんです。東北の田舎なんでワークスライダーなんていうのは関西や関東でなければ無理だと思っていましたし、遠いサーキットまで遠征できなかったので、菅生でがんばろうという感じでした。
 当時はレース人口も多く、関東や関西からショップワークスみたいなマシンが参戦する中、モノで勝てない僕らは、人間ががんばって勝つしかないって気持ちでやってました(笑)。'85年の菅生選手権F3シリーズでチャンピオンがとれたので、大学に進学して就職するつもりだったのを、その代わりにレースを4年やって見ようとプライベーターで走り始めました。

転倒も嬉しかったくらい。

 レースに参戦して4年目、全日本で勝てる様になってきたころ経済的にも厳しくなってきて、翌年国際A級に上がれなければこれで止めようと思いました。それで転倒か優勝かというくらいにガムシャラに走り、コースレコードを出したりしてたのを目に止めていただけてワークスから声がかかりました。
 トップを取ることへの思いは人より強かったと思います。だから、転倒や怪我も恐くなかったし、転倒すると「ここが限界なんだ」と分かって嬉しかったくらい(笑)。ケガでやめて行く人が多い中で、体が丈夫にできていたのも良かったかもしれませんね。ワークスに入った時、「全日本チャンピンを取る!」と勝手に目標を定めてました。
 ワークスは毎年契約なので常に思っていたのは「たまたまラッキーで乗れたので、今年だけかもしれないから、あまり調子に乗らないようにしよう」ということでしたね(笑)。実際一緒にいる人間がどんどんいなくなりましたから「次は自分か」という危機感はありました。
 世界GPも4年走りましたが、ここでは残念ながらトップをとれませんでした。再び国内に戻って次の目標は鈴鹿8耐の優勝。ホンダのワークスの中ではGPの優勝と同じくらいの位置づけなんです。'97年に日本人ペアとして初めて優勝し、'98年も同じペアで優勝できました。GPの頃は苦しいばかりだったんですが、その頃から、レースを楽しめるようになってきた様に思います。
 先頭を切って走るのはもういいだろう、と'00年からはGPマシン、'01年からタイヤの開発ライダーもやるようになり、自分が関わったマシンがトップを走るという喜びを知って、自分が走るのとはまた違うやりがいを感じてますね。それでも、実戦の感覚をなくさないために全日本に参加しています。若いライダーの刺激になればと力まないで走っていますが、やはり走りはじめたら一番を目指すしか無いですからね(笑)。

4輪の世界でのトップ争いを目標に。

 ライダーとしていつまでやる、という区切りはつけていませんが体力的にモーターサイクルはキツくなってくると思います。でもレースは続けていきたいしクルマも好きなので、'04年からスーパー耐久のクラス1に参戦するようになりました。これは羽根さん(羽根幸浩氏:本誌No.341参照)との出会いからで、自分たちがやりたいように運営しようということで、お金を出し合ってプライベーターとして参戦しています。同じレースでも2輪と4輪では大きく違うので、4輪のスキルアップをしていますが、もう少し時間がかかるかもしれません。次の目標はやはり4輪でトップ争いができるようになること。ここ2年の成績では2人とも納得できないですからね。
 レースほど興奮できるものは無いし、非日常の世界の魅力です。これはずっと続けていきたいと思います。'06年はモーターサイクルの方は引き続き開発と全日本に参加の予定ですが、4輪の方はまだはっきり決まっていませんが、こちらも参戦していきますので、サーキットで見かけたら応援してください。

 
       
Honda DREAM RT CBR1000RR
  羽根選手とのペアでスーパー耐久クラス1に#45スケープ45スペックスポルシェで参戦。「羽根さんとはすごく気が合うんですよ。セッティングでも4輪と2輪のノウハウを組み合わせたりしていろんな発見があります。お互いにお店も持っているので、そんな話しも良くします」。'05年はシリーズランキング5位。「この順位は悔しいですね」と上位進出に闘志を燃やす。  
 
伊藤 真一 (いとう・しんいち) 1966年生 宮城県出身

'84年デビュー戦。'88年全日本選手権GP500 2位。'90年全日本選手権GP500チャンピオン。'91年全日本選手権GP500 3位。'92年全日本選手権GP500 8位。'93年ロードレース世界選手権500cc 7位。'94年ロードレース世界選手権500cc 7位。'95年ロードレース世界選手権500cc 5位。'96年ロードレース世界選手権500cc 12位。'97年全日本選手権SB5位。'98年全日本選手権SBチャンピオン。'99年全日本選手権SB4位。'00年全日本選手権SB4位。'03年全日本選手権JSB1000 11位。'04年全日本選手権JSB1000 4位。'05年全日本選手権JSB1000チャンピオン。
グースネック宮城 代表取締役
http://www.ito-shin1.net/
 

Copyright © 2006 ENKEI Corporation All Rights Reserved.
ENKEI WEBPAGE ENKEI WEBPAGE