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'ADVAN PIAA ランサーを駆り、'05年全日本ラリー選手権でシリーズチャンピオンを決め、
'02年以来4連覇と圧倒的な強さを見せる奴田原文雄選手。
'99年には全日本ラリー選手権史上初めてとなる6戦連続優勝を記録するなど、
国内ラリーのトップドライバーとして活躍している。
'04年からはPWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権:2002年からスタートした
グループN車両によって行われるドライバー選手権)に参戦し昨年4位、
3年目のチャレンジに期待がかかる。
今回はPWRC開幕戦となるモンテカルロへ向けて出発する
成田のロビーでお話しをうかがった。

初めてのドリフト体験。

 ラリーへのきっかけは北海道にいた大学4年の時です。バイト先の先輩に「結婚でラリーをやめるから買わないか」と言われたのがラリー仕様のKP61。モータースポーツは雑誌を見る程度のファンで自分でやろうと思ったことは無いし、サーフィンをやっていたので最初に買ったクルマもビートルだし、走り屋でもありませんでした。正直、買う気はなかったんですが「横に乗れ」と連れていかれたのが冬の林道。その時にコーナーの手前で車を横にして走るドリフト走行を助手席で初体験して「スゴイ!」と感激。「このクルマならこういう走りができるんだ!」(笑)と早速手に入れました。クルマを操る楽しさがわかり、こんなに集中できることはこれまでない経験だったので、日払いのバイト代でガソリンを入れて毎日走り回るようになりました。すんなり入れたのは、中学から高校時代に自転車で四国の峠道の90%を走破したほどの林道好きだったこともあるかも知れません。ところが一ヶ月ほどで谷に転落して全損。オロオロしながら先輩に紹介されていたショップに行ったら驚きもしないですぐに引き上げてくれて、自分には大事故でしたが、ラリーではよくあることだと初めて知りました(笑)。そのショップが当時全日本で活躍していた鎌田豊さんのお店だったこともあって、色々面倒をみていただけるようになり、そこからラリーにのめり込んでいったんです。

職業以上のもの。

 地方戦に参加するようになったのが大学卒業の頃で、それからサラリーマンをしながらの活動でした。地方戦でチャンピオンになり、全日本に参戦するために時間のとれる職場に変わり、世界に遠征したいから99年にサラリーマンを辞めてプロになったという感じです。地方戦を始めた当時、周りから「ラリードライバーじゃあ食って行けないから、将来はないよ」(笑)なんて言われてましたが、目標を定めてステップアップしてプロを目指すとか、食える食えないとかそういうことは考えていなくて、ただただラリーが好きで一所懸命に取り組んできた中で、いろんな人に出会い、助けていただいて続けてきたという感じなんです。プロとして独立したのも充分な収入が確保されているかどうかよりも、世界を走りたいという方が気持ちの中で勝っていたので迷いは無かったですね。もちろん、生活ができるかどうかは自分の実力次第なので頑張らなければ、という決意はありました。
 今、職業は「ラリードライバー」ですが、職業というと収入を得るための仕事という感じなので自分としては職業という意識はあまりないんです。うまく表現できませんが、ラリーはそれ以上の、あえて言えば自分自身の生き方そのものというか、「ラリードライバー」という「人種」みたいな感覚なんです。それはプライベーターの時代も今も基本的に変わっていません。プロとしての責任感は当然ですが、自然体で一途にやってきた中で、回りの環境が変わって、今があるということですね。

PWRC3年目、優勝を目指して

 昨年、スーパー耐久に参戦させていただいてサーキットを走らせていただきましたが、タイヤの使い方など違うカテゴリーを走ることで大きなプラスになりました。レースは格闘技系な感じで(笑)自分の性格はやはりラリー向きだと思いますが、楽しかったし得るものも大きいので、またお誘いがあれば走らせていただきたいですね。
 ラリーについては、WRCのラリー北海道が昨年2年目の開催で注目が高まってきています。こうした大きなイベントはこれからの人の目標になり、メジャーになって行くための重要な要素だと思いますので、WRCの一戦に定着して欲しいですね。そのためにも日本人がトップを取ることがドライバーとしての役目だと思います。
 一昨年からPWRCに参戦しています。世界の舞台で勝つためにはメカニックやコ・ドライバーなどチーム全体の総合力が本当に重要で、ここ数年は特にそれを強く感じています。ドライバーもそうした中のパーツのひとつですが、チームの雰囲気づくりやみんなの力を集めたクルマで結果をだす重要な役割がありますし、PWRC3年目の今年は優勝を狙う年です。もちろん全日本にも参加しますので、是非応援してください。僕が走ることで一人でも多くの人がラリーに興味を持って、ファンが増えてくれれば、そんなに嬉しいことはありません。



奴田原選手は取材後の1/20〜22に開催されたPWRC第1戦ラリー・モンテカルロで優勝。日本人ドライバーとして初のモンテカルロ・ウィナーとなりました。
詳しくは奴田原選手のHPへ。
奴田原 文雄(ぬたはら・ふみお)
1963年生 高知県出身 北海道在住

'88/'89年北海道ラリー選手権Bクラスシリーズチャンピオン。'90年全日本ラリー選手権参戦開始。'93年全日本ラリー選手権Bクラスシリーズチャンピオン。'94年アドバン・ラリーチームに加入。'99年プロラリードライバーとして独立。全日本ラリー選手権史上初の6戦連続優勝を記録、全日本ラリー選手権Cクラスシリーズチャンピオンを獲得。海外ラリーへの遠征開始。アジアパシフィックラリー選手権シリーズ6位。'00年2年連続の全日本ラリー選手権Cクラスシリーズチャンピオン獲得。'01年WRCニュージーランド・ラリーグループNクラス3位入賞。全日本ラリー選手権シリーズ2位。アルペンラリー(日本初開催の国際格式ラリー)クラス優勝。'02年4度目の全日本ラリーチャンピオン獲得。(Cクラス3回、Bクラス1回) アジア・パシフィック・ラリー選手権ラリー北海道(日本初開催)日本人最上位の総合3位。 日本アルペンラリーグループNクラス優勝。'03年全日本ラリー選手権シリーズチャンピオン。APRC第2戦(ニュージーランド)グループNクラス優勝、シリーズ2位。'04年PWRCに参戦開始。全日本ラリー選手権シリーズチャンピオン。'05年 4年連続 全日本ラリー選手権シリーズチャンピオン(4年連続6度目)。
http://www.nutahara.com/

 

「ラりーは競う相手が目の前にいないので、自分がライバルで、いかに自分自身をコントロールするかが重要なんです」。走りながら自分の中に入っていく集中感が大きな魅力だという。「二人で走る競技なので、ヒヤッとしたことや、嬉しいことをその場で分かちあえるのも楽しいんですよ」。
 
  ADVAN PIAA ランサー  
  モンテカルロラリー参戦でモナコについた新型ランサーエボ9  


  今年のPWRCはコ・ドライバーに英国人のダニエル・バリットを迎え、ペアを組む。「ダニエルは現在24歳。WRCもほぼ全戦を経験しています。欧州在住のコ・ドラは情報量が豊富で大会前にコ・ドラ同士の交流で、貴重な情報がダイレクトに入ってくるのです。その点を重視しました」。  
 
 

 
“クルマ好き”という人は、一度はクルマのプラモデルを手にし、
ワクワクしながら組み上げた経験があるだろう。
クルマとモデルカーの世界を
“大人の趣味”という観点で提案した雑誌「モデルカーズ」の初代編集長、平野克巳氏。
クルマに対する深い愛情と知識、プラモデルに対する情熱と造詣が、
雑誌というメディアを通じて“クルマ趣味”の世界を広げた。
一方、プラモデルという文化を後世に残すための歴史研究においても
斯界の第一人者として多くの著作を手掛ける。
今回は、鎌倉に平野氏を訪ねた。

クルマの原風景。

 クルマやモータースポーツへの本格的な興味は中学生になった頃に見た「カーマガジン」(当時ベースボールマガジン社発行)がきっかけでした。'66年のポルシェ906タルガフローリオの特集でヨーロッパの牧歌的な風景の中を当時最新のポルシェ906が走っているグラビアに心を打たれましたね。それはモノクロながら映画の1シーンを切り取ったように美しく、僕のクルマに対する原風景になっています。それから毎月購読するようになり、ル・マンのフォードGTやフェラーリ330P4などの記事に狂喜し、欧米のモータースポーツへの憧れは高まっていきました。それが現在へも続くクルマへの思いの原点になっていますね。
 一方、さらに小さいころに出会ったのが、創世記で出始めたばかりのプラモデル。最初に手にしたのは三共というメーカーの小さな飛行機だったと記憶していますが、その時の感激は大きく、以来プラモ小僧と化して(笑)これも現在まで続くライフワークとなっています。
 もともと、文章を書くことは好きで、'76年にモデルアートというプラモデル雑誌にフリーライターとして連載を持ったのがモノ書きの最初でした。ちょうどその頃、企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)が出版した「スカイラインGTR」の本と出会い、これまでの雑誌にはない資料性.趣味性の高い編集に感動して手紙を書いたら「編集をやらないか」というお誘いを受けたんです。

モデルカーズの創刊。

 当時「トヨタの2台のスポーツカー」という2000GTとヨタハチの本を作っている頃で、僕は浮谷東次郎のシルバーのヨタハチのその後を知りたくて、綱島まで取材に出かけたことが印象に残ってます。撮影、取材、原稿書き、レイアウトまで何でもやることになり、ここでエディトリアルを覚えました。その後事情があって、一旦編集を離れるんです。これを言うと必ず笑われるんですが大学生の頃はモデルをやってたんですよ(笑)。その縁で俳優としてプロダクションに所属していて、編集を離れた時期にはウルトラマン80('80年/9/17放映『第25話 美しきチャレンジャー』)や時代劇('81年『木曜ゴールデンドラマ 千姫春秋記』)にも出たんです。それでも、生活は大変で(笑)。そんな頃、「クルマの模型で雑誌を作りたいから」とふたたび声がかかったのが“モデルカーズ”でした。
 決まっていたのは『クルマの模型の雑誌』ということだけで、編集のコンセプトづくりから始まりました。クルマ趣味から派生した模型趣味という位置付けをし、実車のストーリーを軸にそのミニチュアたるキットを楽しむ構成で、敢えて工作ガイド的なものは廃しました。当初「実証主義的模型趣味」なんていう言い方をして『大人の趣味として成り立つクルマと模型の雑誌』を目指しました。その根底にあるのは「クルマ好き」という一言なんですが、そんな思いを込めて編集長を退くまでの約10年を“モデルカーズ”とともに走りました。今は新しいメンバーがそのDNAを受け継ぎ、月刊誌として頑張っていますので是非書店で手にとってみてください。

クルマ趣味、そしてプラモデルキット。

 僕が魅力を感じるのは人間が図面を引いていた時代の、ヒストリーやストーリーがあるクルマなので、モデルカーズで取り上げたのも旧めのクルマが多くなりました(笑)。今、道具としては素晴らしくなったクルマですが、かつてほどの個性はなく、電化製品のような実車からは趣味性が薄れていると思います。それをプラモデルやミニカーにしても趣味という点からは難しいでしょう。クルマ趣味、模型趣味がこれからどうなってしまうのか、という思いもあります。
 ただ、最近の若い人も70年代〜80年代のクルマ、いわゆる旧車というカテゴリーに興味を持つ人が増えています。趣味の対象となる個性やヒストリーを持つクルマというと、その時代のものになるのでしょうね。工業製品は常に新たな技術投入が進歩ですが、“趣味”という観点では必ずしもそうではなく、今、かつて憧れたクルマを時代を超えて楽しめる環境になってきたことが“趣味”の進歩かもしれません。プラモデルやミニカーの世界でも、ここ数年、少し旧めの、しかし魅力ある車種が新しいアイテムとしてリリースされています。プラモデルの金型の進歩は著しく、とても作りやすくなっていますので、気に入ったクルマがあったら是非作ってみてください。モノをつくることを楽しみながら、キットの向こうにある実車の歴史に思いを馳せる。そんなクルマ趣味をもっともっと楽しんで欲しいですね。


 
平野 克巳 (ひらの・かつみ)
1953年生 東京都出身 鎌倉在住

'75年、モデルアート誌に「モデラーのための世界の軍装シリーズ」の連載でフリーライターとしてデビュー、説明用のイラストも手掛けた。同年、企画室ネコに入社、「トヨタの2台のスポーツカー」の出版、「スクランブルカーマガジン(後のカーマガジン)」の創刊などに携わる。一時、俳優として映画「ナオミ」(谷崎潤一郎原作『痴人の愛』より/監督:高林陽一/主演:.水原ゆう紀/ '80年東映セントラル作品)などに出演。'84年に企画室ネコより初代編集長として「モデルカーズ」誌創刊。33号('97年4月発行)を機に編集長を辞し、現在フリーライター、エディターとして活躍中。
■著作本
クルマ プラモデル学入門(交通タイムス社刊)
モデルス プラスティック'60(モデルアート社刊)
モデルス プラスティック'70(モデルアート社刊)
小松崎 茂 プラモデル・パッケージの世界(大日本絵画刊)
高荷 義之 プラモデル・パッケージの世界(大日本絵画刊)
小松崎茂と昭和の絵師たち(立風書房刊)
田宮模型全仕事2(文春ネスコ刊)
田宮模型全仕事3(文春ネスコ刊)
タミヤニュースの世界(文春ネスコ刊/共同執筆編集)
20世紀飛行機プラモデル大全(文春ネスコ刊)
20世紀のプラモデル物語(仮題/大日本絵画刊)9月刊行予定
http://www.hobidas.com/blog/modelcars/khirano/

 


  10年を共に暮らしたERAコブラ427S/C・レプリカ。「暴力的なまでの加速と実用性の無さ」が大きな魅力だったそうな。今は別のオーナーの元で新しい暮らしを始めている。  
    現在の愛車メルセデス190E。病気になられた父上の病院送迎用に購入。「何も楽しくないが、何の不満もないクルマ」ということで、父上亡きあとも乗り続けている。「またスポーツカーが欲しいけど、当分はこのまま満足してしまいそう(笑)」  
  “モデルカーズ”の創刊はクルマ好きや模型好きに大きなインパクトを与えた。「思い出深いのは19号のシャパラル特集でジム・ホールにインタビューしたことですね。子どもの頃からシャパラル信奉者という位に憧れてましたから」。  
  上段)プラモデルに関する著作
下段)「トヨタの2台のスポーツカー」
    (企画室ネコ刊)
 
  平野氏の監修による「モペットコレクション」。主にコンビニで販売の食玩だが、氏のこだわりが随所に溢れる。1/24のモペット3種、各2バリエーション。時代の雰囲気をイメージさせるフィギュアの演出も氏ならでは。東日本では販売中、西日本は3月末発売予定。  


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