一歩踏み出そう。
日本は今、歴史上最もユートピアに近い豊かな国だと思うんです。世界でも戦争や飢餓に苦しんでいる国もあるのに日本ではそれもなく、フリーターで生きていける。なのに、なんとなく閉塞感があって元気がなく、年間数万人が自殺しているのを見ると、どういうことなんだろうと思いますよね。こんなに豊かな世界に生きているのに好きなこともできない、あるいはやらずにいるのではもったいない。勇気をもって『一歩踏み出そう』ということが今の日本に足りない。そのメッセージを伝えたいというのが僕らのコンセプトなんです。 きっかけは僕がまだ銀行員で不良債券問題が吹き荒れていた当時のこと。たまたま一目仙人のペンネームで祖父が残した著作を読み、その生き方の哲学に深く感動して「これを現代版にして金融マンに伝えたい」と強く感じたんです。それで銀行を辞め、出版企画を数十社に持ち込んだんですが、ことごとくダメ(笑)。ならば自分でやるしかない、と同じ銀行にいた高畑、現在aheadの編集長ですが、彼と相談して「もっと多くの人に『一歩踏み出そう』と訴える出版社を作ろうよ」と一緒に立ち上げたんです。とはいえ資金もないし、マンションのリビングを事務所に二人で寝起きしながら、まず「紙屋だ」「印刷屋だ」(笑)と全くの素人が手探りで始めました。
月刊フリーマガジン「ahead」。
3年程で何冊か単行本を出版した頃、思い出したのが銀行員だった当時のこと。暗いムードの昼休みに「新車を買うんだ」とか「またバイクに乗りたい」なんていう話題になると、急にみんなの目が少年のように輝きイキイキ話しはじめるんですよ。そういう力がクルマやバイクにはあるんです。単に『一歩踏み出そう』と訴えるだけではなくクルマやバイクのように“本能的に好き”とか“ワクワクすること”をテーマとしながら、その中に僕らのメッセージを込める雑誌があってもいいんじゃないの?ということで企画をスタートしました。調査では男性の7〜8割がクルマやバイク好き。でも専門誌の購読は2割以下。ということは、そういう楽しいものを忘れてしまっているんじゃないかと。ならば、それを直接身近に届けて、かつてあれだけワクワクした感動を忘れていないかと呼び掛け、“やってみようか”と一歩を踏み出すきっかけにすることで、仕事にも生き方にも影響を与えるんではないかと考えたんです。通常の書店ルートではなく、無料配布でインターネットからの申込み、職場単位で直送というスタイルで'02年の12月に創刊したのが月刊フリーマガジン「ahead」です。これを始めて改めて感じたのは、クルマがいかに男達にインパクトを与えるものかということ。クルマをきっかけに人生が変わったりする人が読者からも続々現れるので、その分責任も感じます。
クルマが人の成長を促す。
僕自身はというと、若いころに峠を攻める走り屋だったわけでは無く、実は普通にクルマとつき合ってきたんです。ところが一度「サーキットの狼になる」という特集で、こんなに身近なレースがありますよと紹介をしたところ『編集部もレースやってるんですよね』というメールがあって。ところが実はだれもやってなかった(笑)。で、人にすすめる以上、自分もやらねばと'04年からヴィッツレースに参戦する決意をしたんです。初めてのレースは茂木で、普通2分3〜40秒で走るところを3分15秒もかかり、パッシングされっぱなしというデビューでした。(笑)。それから練習も重ね、昨年は新しいチーム体制で年間参戦をしています。 その詳細を『人はなぜ闘うのか』という連載で紹介していますが、グリッドでの興奮やアドレナリンの分泌、闘う本能の目覚め、爽快感、仲間との連帯感や感謝、「生きてる」という実感、など凄く大きな刺激を受けています。また、物理の法則の中で動くクルマをロジカルに突き詰める理性とそれを操って競う感性とのバランスの重要さ、リスクマネージメントからチームワークまで、クルマで競うことがこんなにも奥深く、こんなにも人間的成長を促すものだということを改めて知りましたね。サーキットを走りはじめてからフルブレーキも踏めるようになったし、クルマの限界がどの辺にあるかもわかってきて、公道ではすごく安全運転になりました。日本はこれだけの自動車立国になってきているわけですから、安全の為にもサーキット走行やクルマは全員必修でやるべきですよ(笑)。 現在「ahead」の配布は首都圏に限られていますが、このメッセージを全国に届けるべく調整中です。みなさんの地域にお届けできるようになりましたら、是非手に取ってみていただきたいですね。
日本的なクルマのあり方。
僕のクルマに対する価値観を変えたきっかけは、バブル崩壊の92年から93年にかけて国産・外車を問わず当時日本で買えるクルマのほとんどに乗ってみたことでした。その結果、自分でも意外だったのが、数あるクルマの中で一番しっくりきたのが最後に乗ったクラウンだったことです。デザインに少しオヤジ臭さがある以外は(笑)日本国内を走ることにおいて非常にフィットしているんですね。“走る”ということは、乗り手と道路とクルマの三つの関係を一瞬、一瞬処理して行く連続なんですが、日本の道路を走るときにそのバランスが非常にいい。その時感じたのは“ユーザーと想定される中小企業で成功した人たちが、クラウンに求めているものを徹底的に追求した結果”だということ。当時、トヨタ自身もまだ気付いていなかったかもしれませんが、国産車が依然として西欧的価値感や他のクルマとの比較でクルマづくりをしていた中で、クラウンはそうではなく『だれが、どこで、どういう使い方をするクルマなのか』ということを最優先したクルマづくりだったんです。 僕自身、子供の頃から“馬力や一秒でも速く走ることが機械の進歩”という西欧的価値観でクルマを語るメディアの影響下に育ってきましたから“クラウンは静かだけれども鈍重な挙動のオヤジ向けのクルマ”という先入観をもっていましたし、バブル以前まではそれも的を射ていたかもしれません。しかし、クルマづくりが一定のレベルに達し、右肩上がりの西欧的価値に限界が見え始めたバブル崩壊以降にクラウンと出会ったとき、欧米からの借り物の価値観ではなく、日本の現実の中で“日本的なクルマのあり方”を考え、自らの文化としてクルマを語る時代がきたことを意識したんです。
西欧的価値観からの脱却。
ベンツにしてもロールスにしても、産業革命やルネッサンスを経て自然を支配し、今日より明日、明日より明後日の永遠の向上を信じてきた生き方の積み重ねの上に生れたクルマです。そこには“機械を操作する”という人工感があるんですね。それに対して、日本は四季はあるけれども気候的には不安定で台風がくれば収穫もままならないし、明日食えるかどうかわからないという中で自然と共存せざるを得なかった。そこから作られるクルマは本来あり方も違うのではないかと思います。“人とクルマが一体になる”日本的で少しウェットな感覚、それをクラウンに感じました。 雑誌のインプレッションについて違和感を感じ始めたのは、陸送のバイトで当時の新車に乗る機会が増えた学生時代でした。自分が感じた印象と大きな相違はないんですが、なぜか回りくどく、素直な体感の表現ではないと感じたんです。当時は分からなかったその違和感が何だったのかというと、視点をヨーロッパの価値観に置き、ある意味高い所から見下ろすスタンスで国産車の評価を行っていたからだということに気付いたんです。クルマはヨーロッパで誕生し、アメリカで大衆化されてから日本で広まったため、国産車はまず欧米の技術とともにその文化も受け入れるしかなかったし、評価もその基準でせざるを得なかった。ところがその後、文化的には70年代半ばから、技術的には80年代後半から欧米とは異なる歩みを始めたのに、日本のモータージャーナリズムは、依然として数十年前の西欧絶対的な価値観から抜けきれていない思うのです。
新しい形のクルマ情報提供へ。
数値の向上がクルマの進歩であり、最新技術による部分最適の集合体が最も良いクルマとされた時代は終わり、これからは『だれが、どういう使い方をするか』ということをスタートに、日本という国に根を降ろした、日本の文化にあったクルマを日本の価値観で語り直さなければならない時代に入っています。メーカーの車づくりもその方向に動いているし、コンパクトカーやミニバンの販売が自動車販売全体の2/3を占めている事実がユーザー自身もそうした選択を始めていることを示しています。ところが、そこに情報を提供していくモータージャーナリズムのあり方が、依然として変わっていないことを感じるんですね。趣味の世界では欧米のクルマが憧れだった時代を切り出し、その価値観を楽しむことは否定しませんが、それを現在のクルマを評価するスタイルとして使うことには問題があります。 日本のクルマ文化は現在のクルマ社会から生れてくるものです。日本人は日本人であることが自然で、借り物ではない日本の文化としてクルマを語っていきたい。そういう視点から、実用としての側面から見たクルマ情報を新しい形で提供していきたいと思っています。ネットを通じてという形になると思いますが、現在その企画を進行させていますので、ご期待ください。