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首都圏を中心に発行され注目を集める月刊フリーマガジン「ahead」。
クルマとバイクをメインテーマに
無料配布のイメージを払拭するクォリティーとコンテンツで多くの支持を集める。
インターネットで申し込んで職場単位に配送をメインとしたスタイルも、
店頭などで持ち帰るフリーペーパーの概念を大きく変えた。
広告も従来は無料配布誌よりも有料雑誌に媒体価値が置かれていたが、
無料・有料ではなく読者に支持される媒体かどうかに広告掲載の価値があるという
マーケティングを実証するきっかけともなった。
今回は「ahead」プロデューサー 近藤正純ロバート氏にお話しをうかがった。

一歩踏み出そう。

 日本は今、歴史上最もユートピアに近い豊かな国だと思うんです。世界でも戦争や飢餓に苦しんでいる国もあるのに日本ではそれもなく、フリーターで生きていける。なのに、なんとなく閉塞感があって元気がなく、年間数万人が自殺しているのを見ると、どういうことなんだろうと思いますよね。こんなに豊かな世界に生きているのに好きなこともできない、あるいはやらずにいるのではもったいない。勇気をもって『一歩踏み出そう』ということが今の日本に足りない。そのメッセージを伝えたいというのが僕らのコンセプトなんです。
 きっかけは僕がまだ銀行員で不良債券問題が吹き荒れていた当時のこと。たまたま一目仙人のペンネームで祖父が残した著作を読み、その生き方の哲学に深く感動して「これを現代版にして金融マンに伝えたい」と強く感じたんです。それで銀行を辞め、出版企画を数十社に持ち込んだんですが、ことごとくダメ(笑)。ならば自分でやるしかない、と同じ銀行にいた高畑、現在aheadの編集長ですが、彼と相談して「もっと多くの人に『一歩踏み出そう』と訴える出版社を作ろうよ」と一緒に立ち上げたんです。とはいえ資金もないし、マンションのリビングを事務所に二人で寝起きしながら、まず「紙屋だ」「印刷屋だ」(笑)と全くの素人が手探りで始めました。

月刊フリーマガジン「ahead」。

 3年程で何冊か単行本を出版した頃、思い出したのが銀行員だった当時のこと。暗いムードの昼休みに「新車を買うんだ」とか「またバイクに乗りたい」なんていう話題になると、急にみんなの目が少年のように輝きイキイキ話しはじめるんですよ。そういう力がクルマやバイクにはあるんです。単に『一歩踏み出そう』と訴えるだけではなくクルマやバイクのように“本能的に好き”とか“ワクワクすること”をテーマとしながら、その中に僕らのメッセージを込める雑誌があってもいいんじゃないの?ということで企画をスタートしました。調査では男性の7〜8割がクルマやバイク好き。でも専門誌の購読は2割以下。ということは、そういう楽しいものを忘れてしまっているんじゃないかと。ならば、それを直接身近に届けて、かつてあれだけワクワクした感動を忘れていないかと呼び掛け、“やってみようか”と一歩を踏み出すきっかけにすることで、仕事にも生き方にも影響を与えるんではないかと考えたんです。通常の書店ルートではなく、無料配布でインターネットからの申込み、職場単位で直送というスタイルで'02年の12月に創刊したのが月刊フリーマガジン「ahead」です。これを始めて改めて感じたのは、クルマがいかに男達にインパクトを与えるものかということ。クルマをきっかけに人生が変わったりする人が読者からも続々現れるので、その分責任も感じます。

クルマが人の成長を促す。

 僕自身はというと、若いころに峠を攻める走り屋だったわけでは無く、実は普通にクルマとつき合ってきたんです。ところが一度「サーキットの狼になる」という特集で、こんなに身近なレースがありますよと紹介をしたところ『編集部もレースやってるんですよね』というメールがあって。ところが実はだれもやってなかった(笑)。で、人にすすめる以上、自分もやらねばと'04年からヴィッツレースに参戦する決意をしたんです。初めてのレースは茂木で、普通2分3〜40秒で走るところを3分15秒もかかり、パッシングされっぱなしというデビューでした。(笑)。それから練習も重ね、昨年は新しいチーム体制で年間参戦をしています。
 その詳細を『人はなぜ闘うのか』という連載で紹介していますが、グリッドでの興奮やアドレナリンの分泌、闘う本能の目覚め、爽快感、仲間との連帯感や感謝、「生きてる」という実感、など凄く大きな刺激を受けています。また、物理の法則の中で動くクルマをロジカルに突き詰める理性とそれを操って競う感性とのバランスの重要さ、リスクマネージメントからチームワークまで、クルマで競うことがこんなにも奥深く、こんなにも人間的成長を促すものだということを改めて知りましたね。サーキットを走りはじめてからフルブレーキも踏めるようになったし、クルマの限界がどの辺にあるかもわかってきて、公道ではすごく安全運転になりました。日本はこれだけの自動車立国になってきているわけですから、安全の為にもサーキット走行やクルマは全員必修でやるべきですよ(笑)。
 現在「ahead」の配布は首都圏に限られていますが、このメッセージを全国に届けるべく調整中です。みなさんの地域にお届けできるようになりましたら、是非手に取ってみていただきたいですね。







近藤正純・ロバート(こんどう まさずみ・ろばーと)
1965年 米国サンフランシスコ生まれ。

1988年慶應義塾大学経済学部卒業、同年日本興業銀行に入行。同行在職中に米国コーネル大学経営大学院に留学(MBA)。1998年有限会社レゾナンス出版(現株式会社レゾナンス)を設立し、代表取締役に就任(現任)。フリーマガジン「ahead」プロデューサー。

http://www.ahead-magazine.com/

 

レース参戦を通じて「闘う本能の目覚めがありました(笑)。みんな何故あんなに熱くなってサーキットを走るかとか、F1の世界がどんなに凄いものなのか以前より良く分かるようになりましたね」。銀行員の頃には、クルマの雑誌に関わりレースに参加するとは想像もしなかったという。近藤氏自身、一歩を踏み出し、クルマに出会って人生が大きく変わった一人であることは間違い無い。
 
  自動車専門誌を中心にメディア関係を対象として'89年から恒例で行われている「メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」にも初参加。S耐久ドライバー丸山浩氏、レース経験豊富な出来利弘、加藤彰彬の両氏とともにチームを組んで常連に挑み、全員初出場ながら参加25台中10位完走。  
  男性ビジネスマンを対象としたahead。「自分たちが『こんなのあったらいいね』という感覚で作りました」。ビジネスマンが持ちやすい厚さ、サイズ、デザインにこだわった。'05の春からは合本という形で女性向けの『ahead femme』もスタート。「クルマやバイクを買う上では奥さんの了承も不可欠なので、夫婦のコミュニケーションツールをコンセプトに奥さん向けの誌面としました」。  

  ネッツカップヴィッツ関東シリーズ第6戦では6位入賞。一旦表彰台にあがったものの、終了後の車検でスリップサインが出ていることが発覚し失格、幻の表彰台となった。  
  '04年から参加を始めたヴィッツレース。2シーズン目の昨年は全損や失格も経験。一方最終戦ではベストラップタイムを出すなど、確実にステップアップしている。  
 
 

 
かつてアメリカの雑誌「PENT HOUSE」の日本版に創刊から関わり、
その後フリーのエディター・ライターとして男性誌から若者向け雑誌、
女性雑誌にいたるまで幅広く活躍している福山尚生氏。
テーマも料理、音楽、インテリア、自然環境などありとあらゆる分野にわたる一方、
子供の頃からの無類のクルマ好きとして、クルマ関係の記事も多く手掛ける。
幅広い分野の知識を背景にしながら、独自の視点からクルマを語ってきた中で、
今新たなクルマ情報のあり方と提供方法を模索しているという。
今回は福山氏の仕事場を訪ねお話しをうかがった。

日本的なクルマのあり方。

 僕のクルマに対する価値観を変えたきっかけは、バブル崩壊の92年から93年にかけて国産・外車を問わず当時日本で買えるクルマのほとんどに乗ってみたことでした。その結果、自分でも意外だったのが、数あるクルマの中で一番しっくりきたのが最後に乗ったクラウンだったことです。デザインに少しオヤジ臭さがある以外は(笑)日本国内を走ることにおいて非常にフィットしているんですね。“走る”ということは、乗り手と道路とクルマの三つの関係を一瞬、一瞬処理して行く連続なんですが、日本の道路を走るときにそのバランスが非常にいい。その時感じたのは“ユーザーと想定される中小企業で成功した人たちが、クラウンに求めているものを徹底的に追求した結果”だということ。当時、トヨタ自身もまだ気付いていなかったかもしれませんが、国産車が依然として西欧的価値感や他のクルマとの比較でクルマづくりをしていた中で、クラウンはそうではなく『だれが、どこで、どういう使い方をするクルマなのか』ということを最優先したクルマづくりだったんです。
 僕自身、子供の頃から“馬力や一秒でも速く走ることが機械の進歩”という西欧的価値観でクルマを語るメディアの影響下に育ってきましたから“クラウンは静かだけれども鈍重な挙動のオヤジ向けのクルマ”という先入観をもっていましたし、バブル以前まではそれも的を射ていたかもしれません。しかし、クルマづくりが一定のレベルに達し、右肩上がりの西欧的価値に限界が見え始めたバブル崩壊以降にクラウンと出会ったとき、欧米からの借り物の価値観ではなく、日本の現実の中で“日本的なクルマのあり方”を考え、自らの文化としてクルマを語る時代がきたことを意識したんです。

西欧的価値観からの脱却。

 ベンツにしてもロールスにしても、産業革命やルネッサンスを経て自然を支配し、今日より明日、明日より明後日の永遠の向上を信じてきた生き方の積み重ねの上に生れたクルマです。そこには“機械を操作する”という人工感があるんですね。それに対して、日本は四季はあるけれども気候的には不安定で台風がくれば収穫もままならないし、明日食えるかどうかわからないという中で自然と共存せざるを得なかった。そこから作られるクルマは本来あり方も違うのではないかと思います。“人とクルマが一体になる”日本的で少しウェットな感覚、それをクラウンに感じました。
 雑誌のインプレッションについて違和感を感じ始めたのは、陸送のバイトで当時の新車に乗る機会が増えた学生時代でした。自分が感じた印象と大きな相違はないんですが、なぜか回りくどく、素直な体感の表現ではないと感じたんです。当時は分からなかったその違和感が何だったのかというと、視点をヨーロッパの価値観に置き、ある意味高い所から見下ろすスタンスで国産車の評価を行っていたからだということに気付いたんです。クルマはヨーロッパで誕生し、アメリカで大衆化されてから日本で広まったため、国産車はまず欧米の技術とともにその文化も受け入れるしかなかったし、評価もその基準でせざるを得なかった。ところがその後、文化的には70年代半ばから、技術的には80年代後半から欧米とは異なる歩みを始めたのに、日本のモータージャーナリズムは、依然として数十年前の西欧絶対的な価値観から抜けきれていない思うのです。

新しい形のクルマ情報提供へ。

 数値の向上がクルマの進歩であり、最新技術による部分最適の集合体が最も良いクルマとされた時代は終わり、これからは『だれが、どういう使い方をするか』ということをスタートに、日本という国に根を降ろした、日本の文化にあったクルマを日本の価値観で語り直さなければならない時代に入っています。メーカーの車づくりもその方向に動いているし、コンパクトカーやミニバンの販売が自動車販売全体の2/3を占めている事実がユーザー自身もそうした選択を始めていることを示しています。ところが、そこに情報を提供していくモータージャーナリズムのあり方が、依然として変わっていないことを感じるんですね。趣味の世界では欧米のクルマが憧れだった時代を切り出し、その価値観を楽しむことは否定しませんが、それを現在のクルマを評価するスタイルとして使うことには問題があります。
 日本のクルマ文化は現在のクルマ社会から生れてくるものです。日本人は日本人であることが自然で、借り物ではない日本の文化としてクルマを語っていきたい。そういう視点から、実用としての側面から見たクルマ情報を新しい形で提供していきたいと思っています。ネットを通じてという形になると思いますが、現在その企画を進行させていますので、ご期待ください。


 
福山 尚生 (ふくやま たかお)
1953年生 神奈川県在住


一般総合誌を中心に企画、編集、執筆活動を続ける。80年代には講談社PENTHOUSEの創刊から関わり廃刊まで様々な企画、記事を手掛ける。90年代以降は女性誌から硬派ジャーナル誌までの種々雑多な分野で活動。車雑誌では96年から98年までカーグラフィック誌で“走らせる人”、“車最前線”を連載。
現在、新たな車情報企画と格闘中。
株式会社エン代表取締役。

 


  4キロを6分半で自転車通学していた高校時代「ある日、ふっと体の力が抜けて意識が違う次元になったのを感じたんです」。それが、“乗り物を操る”ことを“肉体感覚”として理解した最初だったという。大学時代は無駄な操作を廃してクルマを操ることを修行のように追求。雑誌時代の企画では自らニュルブルクリンクも走った。「ゲストのラリードライバーの横に乗ったとき、レベルは違いますが、自分が目指してきた走りの方向が間違ってなかったことを感じましたね」。そうして積み重ねてきた感覚や「かつてRX7を通勤に使い、目的と違うクルマを選択する失敗も体験しました(笑)」という経験をベースに「新たなスタイルでのクルマ情報の提供」を目指す。  
    「この本が僕のクルマとの最初の出会いでした」というのが子供の時に買ってもらった『世界の自動車・1955年版』だった。その後、クルマのおもちゃやプラモデルに夢中になり、中学1年の終わりにカーグラフィック誌を手にして本格的なクルマ好きの道を歩む。「でも当時は現実のクルマというより、日常生活から隔絶した情報としてのクルマでしたね」。写真右端は後年、古書店で見つけた『世界の自動車・1954年版』。  
  96年から2年に渡りカーグラフィック誌で連載した“走らせる人”。「日本で一生懸命やっている人を取り上げ、西欧からの借り物でない、根っこにある日本人のところを引き出したい、と決めてスタートした企画でした」。24人の取材の最終回はスタジオ・ジブリの宮崎駿氏へのインタビューで締めくくられている。  
  4都内から現在の神奈川県逗子市に転居して約一年半。様々なクルマを乗り継いできた福山氏だが、転居を機に一旦クルマを手放し、現在も普段の足として自転車を愛用。現在、次の愛車を検討中。  
     


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