モータージャーナリストとして活躍する一方、
国土交通省「社会資本整備審議会道路分科会有料道路部会」委員、
かながわのみちづくり計画検討委員会委員なども兼務する竹岡氏。
「竹岡圭って男みたいな名前じゃないですか。
だから写真がなくて肩書きだけみると皆さん怖いおじさんを想像するみたいで、
会うと『あれ、女の人なの?』と拍子抜けされることもしばしば。
肩書きだけ偉そうなんで肩書き商売か?なんて言われてます(笑)」と明るく笑う竹岡氏に、
今回はレースのこと、委員会のことなどを伺っ た。

クルマを「楽しむ・遊ぶ」レース。

 今年も手軽なレースに参戦していきますけど、私の場合プロを目指しているわけじゃないんでクルマを「楽しむ・遊ぶ」の一環ですね。それを通じて、モータースポーツの楽しさをもっとみんなに伝えていきたいんです。やってみたい人は意外にいると思うんですよ。でもレースってやっぱり敷居が高いでしょ。だから、車も免許もないぐらいでクルマの世界に入ってきた私でもレースができるし、やってみたら面白いし、私みたいな女の子がやっていれば「ああ、あんなやつでもできるなら」って思うじゃないですか(笑)。それでレースへの敷居が少しでも低くなればと思っています。
 サーキットももう少し気軽に、例えばゴルフの練習行くぐらいの感覚で走れるようになるといいなって思うんです。ニュルブルクリンクなんかはチケット買えば、日本円だと多分1周1500円から2000円ぐらいで25kmのコースを誰でも走れるんです。ワゴンでもバスでも10人乗っていても、1人しか乗ってなくてもOK。そういうのが日本にもあればいいですよね。ゴルフって練習場に行くとレッスンプロがいるんでしょ?サーキットも専属のかっこいいレッスンプロがいれば、もっとモータースポーツも流行るんじゃないの、とか思うんですけどね(笑)。

乗って楽しい有料道路。

 それから今は、国土交通省「社会資本整備審議会道路分科会有料道路部会」委員をやらせていただいています。そういえば初めて国土交通省とお仕事させていただいたとき、雑誌の編集部に突然「国土交通省です」って私あての電話がきたらしくって、「いたずらじゃないか」って悩んだらしいんです。私も「心当たりあるか?」「ないよそんなの」(笑)って感じで。調べてみたら「どうも本物らしいよ」って言うことで、こちらから電話したら「雑誌で見ているんですけど、ユーザー代表として委員をやって頂けませんか」ということだったんで「じゃあ、やらせていただきます」ということでお付き合いが始まりました。
 でも、かなり浮いてますよ(笑)。皆さん大学の教授とかJAFの偉い人とかで、私1人こんな感じ。それで「これからは乗って楽しい有料道路じゃなきゃだめでしょう」とか突飛な意見を言っちゃうんですから(笑)。だって有料道路が45年でお金返さなければいけないのは決まっているからタダにするわけには絶対いかないじゃないですか。だったら有料道路の利用率を上げるためにはどうするかって考えていかなきゃいけないでしょ。それには利用しやすくて快適で楽しくて安全でが一番。ETCで「100台に1台タダになる」とか、観光地とタイアップして「今週は箱根方面マイル2倍キャンペーン」とかやれば観光地も潤うじゃないですか。民営化されたんだから、そういう「乗って楽しい道路を目指しましょうよ」なんて意見を言ってるんですよ。採用されるかどうかはわかりませんけど、一応言ってはあります(笑)。


クルマは楽しくなきゃいけない。

 これからのクルマは自動運転みたいな世界に行くのと、もう1つは自分で運転するのと両極端にいくんじゃないかと思っています。元気な時は自分で運転を楽しんで行きたいし、渋滞して帰ってくるんだったら「ベルトコンベアで運んで」って思うじゃないですか。そういうふうに自動運転レーンと運転を楽しめるレーンに道路が進化して分かれていくのもありかな〜なんて。それから、ROMの切替で「今日は燃費モード」、「今日は走りたいモード」とかできたら面白いと思いますね。 
 「クルマは楽しくなきゃいけない」っていうのが私の持論なんです。人が移動するってことで考えれば乗り物は色々ありますけど、比較的簡単に免許が取れて自分で操って移動できる乗り物がクルマですよね。だから楽しくなきゃいけない。安全じゃなきゃ楽しくないし、事故でも起こしたら楽しくないでしょ。だから「安全」も「楽しい」に含まれるし、「快適」っていうのも「楽しい」に含まれるし、全て「楽しい」に含まれるなって思っているんです。
 仕事も「楽しくしよう」がモットーなんですよ。だからレースも仕事もクルマも楽しく。その楽しさをいろんなメディアや機会を通じて皆さんに伝えて、一緒に楽しんでいけたらいいなと思っています。







竹岡 圭(たけおか けい)
東京都出身

自動車専門誌、女性誌、一般誌、インターネット(Web媒体)、TV、ラジオなど、さまざまなジャンルで、執筆者として、コメンテーターとして、活動する。クルマのインプレッションやコラムなどの他、チャイルドシートやカーグッズ、クルマ旅行など、カーライフ全般を女性の視点からレポート。また、イベントでのトークショーや講演、各種セーフティドライビングスクールのインストラクターなども積極的に行っており、さまざまな角度から快適なカーライフをサポートするべく、実際にユーザーにアドバイスすることも大切にしている。
日本自動車ジャーナリスト協会(A.J.A.J.)理事
日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
国土交通省「社会資本整備審議会 道路分科会 有料道路部会」委員
国土交通省「駐車場システム検討会」委員
自動車技術展「JASE EXPOSITION AWARD」審査委員
神奈川県 かながわのみちづくり計画検討委員会 委員チャイルドシート指導員
 
  虎視眈々と狙っていたんです(笑)。雑誌編集部から『メディア対抗のロードスター4時間耐久レースがあるんだけれど出てみる?』って言われて『出たい』って無謀にもいきなり出たんですよ。私のモータースポーツはそこから始まるんです」。
竹岡氏のブログ〈http://blogs.yahoo.co.jp/kei_takeoka
 
  プロスペック入社時に日常の足として手に入れたビートで軽自動車のレース“K4GP”にも参戦。10年乗った頃にナンバーを切って本格的レーサーに。'05年1月にはマレーシアのセパンで開催されたK4GPの6時間耐久でクラス優勝、女性ドライバーとして現地で注目を集めた。そして今年2月10〜11日再びセパンへ。「今回は24時間耐久レースということで、さらに準備が大変。仲間とがんばってきます!」。師匠の日下部保雄氏も“自腹ワリカン”で一緒に参戦する。(写真は'06年8月K4GP 富士1000kmにて)
 
  「十勝24時間耐久のチームマネージャーをやっていた時に知り合った“お弁当屋ん”が昔モータースポーツやっていて『出たいね』っていう話しになったんですよ」。それが実現して'00年、'01年と十勝24時間耐久レースに参戦。写真 '00年 #55 アドバンWINMAXインテグラR ドライバー:村西 豪紀、加藤 英昭、竹岡 圭、上田 五郎)
 
  (写真 '01年 #21 パイオニアADVANインテグラR
ドライバー:加藤 英昭、竹岡 圭、藤村 照行、大久保 千穂)
   
 

 

レースデビュー2戦目でポール・トゥ・フィニッシュを飾り、その後、日産のワークスドライバーとして活躍、今シーズンも第一線を走り続けるトップドライバー木下隆之氏。
'06年のスーパー耐久レースでは7戦中5勝を上げシリーズチャンピオン獲得とともに、
史上最多勝も記録した。
スパフランコルシャン24時間耐久レースや今年で16年目となるニュルブルクリンク24時間耐久レースへの参戦など海外レースの経験も豊富。
その一方で自動車雑誌を中心に多数の連載を持つライターとしても活躍中の木下氏にお話をうかがった。


4年間ドップリ自動車部。

 小さい頃からクルマが大好きだったので、高校3年の5月に誕生日がくるとすぐに免許を取りにいきました。自由な高校で、自分の趣味ややりたいことを申請すると一年間学校の中でやっていいという少し変わった学校だったんですよ。それで「僕はクルマに興味があってその勉強をしたいから」と申請してクルマでの通学を許可して貰っていました。でも、クルマの競技を始めたのは大学で自動車部に入ってからです。もっとも自動車部に入ろうと思っていたわけでもなく、競技のことも知らなかったんですが「専用のガレージもあるしクルマで通えるから」って勧誘されて「それなら」と入ったんですけど。(笑)。
 各大学の自動車部が加盟する全日本学生自動車連盟ではレースはやってなくて、それ以外のジムカーナ、ダートラ、ラリーとかの競技がありました。それに参加するうちにクルマの競技が面白くなってきたんですね。4年間ドップリ自動車部で、4回生のときには主将を務めました。部員は30人くらい。体育会系だったのでガクランを着て厳しくやってました(笑)。学生時代にはジムカーナの東日本チャンピオンをとりましたし、ダートラとか含めて全関東チャンピオンとかもとってます。

レース2戦目でポール・トゥ・フィニッシュ。

 僕がレースに初めて参戦したのは、大学を卒業して出版社のクルマ雑誌編集部に就職してからなんです。自動車部の部員も卒業すると、みんな「クルマはおしまい」とリセットするんですよね。サッカー部とか野球部だとプロをめざさなくても、友達どうしでやったり、草野球やったりして続けてますよね。なのに、なぜクルマもそういったことがないのかなとずっと思っていて、ぼくはジムカーナなりダートラなり趣味としてしばらく続けていきたいなと思っていました。そうした一つとしてレースがあったんです。ジムカーナやダートラでは全関東のチャンピオンを取らせてもらったりしてそれなりの自信はありましたが、レースだけはやったことがなかったので、一回レースに触れてみようと思ったんです。
 それで初任給から8月くらいまで給料をためてKP61スターレットをレンタルしてもらい、夏の富士フレッシュマンに一戦だけスポットで参加したんです。この時に6位に入賞して面白くなったんでもう一回出よう、ということでまた12月まで給料をためて最終戦に参加しました。この時にポール・トゥ・フィニッシュで、同時にコースレコードも出して優勝したんです。本当はそこで終わるはずだったんですよ。お金もないし。プロのレーサーになろうとかお金をかせごうとか思ってもいませんでしたし。ただ、その時同じサーキットをパワーのあるスカイラインのクラスが走っていて「それに乗ってみたい」という気持ちは強かったですね。その時、たまたま日産プリンスのチームから声をかけていただいて、翌年からスカイラインに乗れることになったんです。本当に運がよかった。その後も「あのクルマ面白そうだから乗ってみたい」という強い憧れが次のステップへ導いてきてくれたように思います。

本物のレーシングドライバー。

 若い頃はレースは格闘技だと思っていて、ぶつけてくればぶつけ返してでも残って行かないといけなかったんで今思えば結構ひどいレースをしていたのかもしれません(笑)。それがワークスになってスパッと変わりましたね。自分個人じゃなくて、クルマの開発から、興行の中の一人としてお客様を考えたり。前は手段を選ばず勝てば良かったっていう感じでしたが、内容がよければ2位でもいいっていうふうに変わっていきましたね。ワークス契約になるとドライバーもチームのパーツの一つとして、要求が高度になってくるので、それに応えなきゃいけないですし。同じタイムで走っても燃費のいいドライバーになるとかタイヤの消耗にやさしいドライバーであるべきとか、チームにフィードバックを残せるドライバーになるとか、そっちの方にシフトしていきましたね。まあ勝たなければダメというのは同じなんですが。
 僕は器用でドライビングの幅があって引き出しをいっぱい持っているドライバーでありたいと思います。無謀で速いっていう瞬間もあれば、開発もできるし、魅せる走りもできるし、いろんな要求にすぐ応えられる。それが実はプロなんじゃないでしょうか。役者でもヤクザの親分から医者まで演じきれるような役者っていうのは魅力的で本当にプロに見えますよね。僕は常にそういった本物のレーシングドライバーになりたいと思って走っています。(以下次号)

木下 隆之(きのした たかゆき)
1960年生 東京都出身

学生時代からダートトライアル、ジムカーナ等のモータースポーツに参加し数々の優勝を飾る。特にジムカーナでは東日本学生チャンピオンに輝いた。1984年富士フレッシュマン(P1300・KP61スターレット)のデビューレースを6位入賞で飾り、2度めのレースでポール・トゥ・フィニッシュ。同時にコースレコードを叩きだした。レース活動の他に、多数の自動車雑誌および一般男性誌に執筆。連載レギュラーページを多数持つ。日本カーオブザイヤー選考委員および日本モータージャーナリスト協会に所属。また、wowow等でテレビ解説など多数に出演。株式会社木下隆之事務所代表取締役。

 


'84年にレースデビューし。翌'85年にはワークスドライバーとして富士フレッシュマンにエントリー。「僕が始めたころはちょうどバブルで、波に乗ってたんですよ。そんなチャンスをもらえたのはそう言う時代だったからだと思いますね」。とはいえ、これまでの戦績が木下選手の実力を物語る。
http://www.cardome.com/keys/op03.shtml
 
 

'84富士フレッシュマンにKP61でレースデビューしてから2年目にはFJ1600、3年目の'87年からF3に参戦。驚異的な速さでF3のシートをゲットした。
(写真:'89年F3CRT32TOMEIラルトRT-32)
 

 
  プロドライバーへの切っ掛けとなったのが'85年の日産プリンスチームへの参加。富士フレッシュマンNPオープンにDR30スカイラインでフルエントリーし、シリーズチャンピオンに輝く。以降、スカイラインのレース仕様開発を担当するなど、日産ワークスドライバーとして多くのスカイラインファンを魅了する。

'89年グループA
スカイラインHR-31
 
  '92年木下隆之/A.オロフソン組
スカイラインBNR32




 
  '89年、グループA#24スカイラインHR-31を都平 健二選手と共にドライブし、9/22の鈴鹿グレート20ドライバーズレースでグループA参戦開始後、初の表彰台となった。1位は長谷見 昌弘/A オロフソン組(リーボックスカイラインHR-31)、2位は清水和夫 松田秀士組(ピューミニ・トランピオシエラSIERRA RS500)
(写真:'89年鈴鹿グレート20ドライバーズレース表賞台)

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