レーシングドライバーとして「楽しむことですね。
無理をしないで自然体でやってきたのが長続きしてきた自分なりの秘けつだと思います。」
と語る砂子塾長。
操ることの楽しさを伝えるために
「極端な話、砂子塾を小学生にやったっていいと思いますよ、
チャリンコの運転の仕方を。
みんなどうやってチャリンコのッてる?みたいなね(笑)」。
今回はモータースポーツのこれからなどについて
お話しをうかがった。

チューニングは環境に貢献。

 僕が最近声を大にして言いたいのは、チューニングっていうと環境悪みたいなイメージを持たれてきましたけど、良く考えると実は環境に貢献してるんじゃないかってことですね。例えば軽量ホイールに換えてバネ下重量を軽減し、マフラーを交換してパワーが上がればそれだけアクセルを踏まないで済むから燃費も向上するわけで、間違いなくエコロジーなんですよ。実際、メーカーでもテスト段階で直噴エンジンにターボとスーパーチャージャー両方を搭載したらパワーが出過ぎて、2リッターの予定のエンジンを1.4リッターにして市販してるんです。それによって、凄く燃費が向上しているらしいんですね。ターボなんかはまさにレースの中で培ってきた技術ですよ。
 モータースポーツが何十年もかけてやってきた燃焼効率の向上や軽量化という技術は、実は燃費の向上や排ガスの減少に生かされているということなんで、肩身の狭い思いをする必要はないんです。実際にあちこちのメディアなんかでもでこれを言ってるんですが、そうやってモータースポーツがやってきた事を社会に認めてもらえるように発言していきたいと思っています。

元気な男の子を。

 今はミニサーキットが多くなって、普通の人が走るための環境はすごく整ってます。自分のクルマを持って行けば走れますから、峠なんか行く必要はまったくないですよ。僕らの頃は富士や筑波みたいなところしか走るところが無かったし、当時の車はすぐ壊れちゃうんでサーキットなんか走れたもんじゃないですしね。それから思えば本当にいい環境なんですけどね。
 ただ、昔は若者=スピードっていうイメージだったんですけど、最近は全然ないですね。ミニバンばっかりの世の中で。若者がスピードに憧れるっていうのはある面、健全な男の思考回路だと思いますし、乗り物を操りたいって思うのが男の子だと思うんですよね。“危ないから”って何でも取り上げてしまうような過保護な社会では、強い人間が出来ないですよ。それは精神的な去勢みたいなもので、男の子の眠っている特性を封じ込めちゃう。
 また、今オートマ免許の比率が60%位になっています。ミッションが“操る楽しさ”の大きな要素で、シフトアップ・ダウンで走らせる悦びや快感を知らずしていいんでしょうか?。カーナビの普及で東西南北がわからない人も増えているし。人間のスキルを減らして結果を楽に求める。そういう便利さは、どんどん人間の野生的な部分をなくして人間をダメにしていきますよ。20代はカーナビ使用禁止、男はオートマ免許じゃだめ!みたいな(笑)、それぐらいの法律を作って男を掻き立てないといけない時代だと思いますよ。大袈裟な話になっちゃうけど、国やメーカーがまじめに論議しあって、まともな元気な男の子を作っていかなくちゃいけないんじゃないですかね。それがモータースポーツの将来にも関わってくると思いますよ。


面白いレースのために。

 モータースポーツの世界でもシーケンシャルシフトの登場で、レースの興味の一つだったバトル中のシフトミスがなくなったんですよ。追い詰めて行ったらヘアピンの立ち上がりで一瞬のシフトミス、それをついて抜き去るなんていうことがあったんですが、今はそれがない。本当に面白いレースって何だろうと思うと、やっぱり基本はバトルを楽しめなきゃいけないわけですよ。たとえレースの平均タイムが2秒、3秒遅かろうが面白いバトルならお客さんは興奮しますよ。
 例えばナスカー※はドハデなクラッシュがありますが、あの手のクルマは400万も出せば買えるんで、ガレージに帰れば30台のクルマがある。だから思いきったバトルができるんですね。でも1台4億のGTマシンなんてとても壊せないですよね。それじゃ思いきったバトルなんてできないんです。もし僕が何十億の資金をもってレース主催ができるんだったら、アメリカからナスカーを20台くらい買ってきてレースをやりたいですね。操ることの楽しさや面白さを前面に出したレースには高価なクルマより、多少壊れてもいいと思えるレースカーづくりのシステムが必要だと思います。
 カーボンファイバーや風洞実験に億の資金を注ぎ込むより、もう一度レースの楽しみを見直さないといけない時代に来ているんじゃないかと思います。

※NASCAR(ナスカー)は全米改造自動車競技連盟が統轄するレースシリーズ。いわゆるストックカーで競われ、アメリカでは最大の人気を誇る。
マシンはハイテクが排除され、低コスト、イコールコンディションの徹底されたレギュレーションで競う。2006年にはトヨタの初参戦や、F1ドライバー、J・P・モントーヤの電撃移籍などで注目が集まる。







砂子 塾長(すなこ・じゅくちょう)
1964年生 東京都出身
ライセンス登録名 砂子塾長

85年に富士フレッシュマンでレースデビューし、JSSのDR30、F3にステップアップする。その後、様々なカテゴリーに参戦し、1992年にはN1耐久にスカイラインGT-Rで参戦し、1996年に念願のシリーズチャンピオンを獲得する。また、全日本GT選手権にも参戦するが、1998年の富士スピードウェイでの事故により重症を負ってしまい、サーキットから遠ざかってしまう。しかし、毎日のリハビリに励み脅威の回復力により、その年のスーパー耐久の富士戦で復活する。現在も様々なカテゴリーでレースに参戦し続けている。テストドライバーや開発ドライバーを託される事も多く、各種インストラクターも勤める。また、トークや文章の才能にも恵まれ、雑誌の執筆や取材記事、TVのレポーターでも活躍中。
http://www.sunakojyuku.com/
 
  雑誌の企画で行われた“後輪駆動男塾・砂子塾長”。そのいうネーミングが「いたく気に入って」2001年からレースの登録名を砂子塾長にしたという。メディアでも活躍の場が広く、テレビ埼玉の自動車情報番組CAR Hyper(カー・ハイパー)にも出演。レポーターも勤める。
 
 
 
 
 
 
 
 
  GT選手権は'97年から'05年まで参戦。写真は'01年JGTC(現スーパーGT)GT300クラスに910(ナインテン) RACINGでエントリーした#910 910ロディオドライブアドバンポルシェ。和田久選手をパートナーにシリーズ2位を獲得。
 
 
 
 
 
 
 
 
  2007年シーズンはスーパー耐久STクラス2に参戦。#20 RSオガワ ADVAN ランサーを小川 日出生選手、阪口 良平選手とともにドライブ。3戦の十勝を終えて現在クラス3位。
(写真は2006シーズンの#20 RSオガワ ADVAN ランサー。STクラス2シリーズ3位)
 
 
 
 
 
 
 
  
 
  '03年、スーパー耐久STクラス1を走るCHOROQ RACING TEAM WITH PIRELLIから参戦した#99 CRT-PIRELLIポルシェ。パートナーは壷林貴也選手。
 
 
 
 
 
 

 

国内のレースに韓国のタイヤメーカーが積極的に参戦をはじめている。
その一つがハンコックだ。
ハンコックは'94年に日本に販売会社を設立し国内市場に進出している。
さらにブランドイメージアップのため、
昨シーズンはレース用タイヤを国内チームに供給。
そして今シーズンからはスーパーGT300クラスに
自らのチームとして本格的に参戦を開始した。
そのドライバーとして白羽の矢がたったのが
今年レースデビュー20年となった、
ベテラン木下みつひろ選手だった。


ハンコックからのオファー。

 以前、カー雑誌の取材でハンコックさんのタイヤの評価をしたことがあったんですよ。その記事がハンコックさんの目にとまったようで、先方がアポイントを取られてきたのが最初のキッカケでしたね。アメリカやヨーロッパは大きな市場なんで、そちらでもタイヤの良し悪しの評価はしてもらっているようなんですが、具体的にコメントをしてくれるドライバーとの接触があまりなかったみたいですね。
 僕の場合、具体的にどこが悪くて、どこをどうしたら良いかということをコメントしていくタイプなんで、それを評価してくださって、タイヤを開発していく上で僕を使いたいと言ってくださったんです。雑誌の記事がきっかけで、開発の仕事とドライバーを専属で任せていただけるところまで話が広がってきたんですから、どこにチャンスがあるか分からないものですね(笑)。そんな経緯で一昨年、スポットで使い始め、昨年はエンドレスとのコラボレーションでハンコックエンドレスポルシェを走らせました。基本的にハンコックのタイヤを使用して一年間レースをしたわけですが、正直なところ、最初はなかなか満足の行くタイヤではありませんでしたね。

驚くほどの素早い対応。

 ところが、ハンコックのスタッフのレスポンスは凄くクイックで、一言いうと次にはすぐに改良をしてくる。金型なんかはかなりコストがかかると思うんですけど、コメントをするとそれに合わせてまた新しく作ったりと、その意気込みがすごいんですよ。最初に比べると、どんどん進化して良くなっているんです。それには本当に驚きを持っていますね。
 今シーズン、ハンコックのクルマでGTを走るようになったのも「一緒にやろう」という強いお誘いをいただいたことはもちろん、何よりそのスタッフの意気込みに僕自身も駆り立てられ、それで移籍を決断したというのが正直なところです。
 今回、エントラント名がハンコックKTRとなっていることからも分かるように、タイヤの開発も含めて車両のメンテを行っているのがKTRの武田敏明さん(本誌2002年No.308掲載)なんです。彼も良く韓国まで足を運んでいるんですが「電化製品にしても何にしても欧米では国内で想像する以上に様々な分野で韓国製品のブランド力は高まっている。日本の技術が一番だと思っているのは国内だけだね。日本もがんばらないと」なんていうくらいに、韓国製品は凄いパワーで進化していますね。

大きなプレッシャー。

 今年のポルシェは昨年よりもタイヤサイズが大きくなっているんですが、剛性を落とさずに軽量化を図る方向でトライをしています。現在レース用のタイヤとしては7割くらいの仕上がりでしょうか。今シーズンは、まだすべてのサーキットを走っていないので、データが不足していますが、今年一年で一通りのデータがとれれば、来シーズンはもっと闘いやすくなるはずです。それでも、第5戦、菅生では3位で表彰台に立つことができましたから、確実に進歩していることが証明できたと思いますね。もちろん目指すのは表彰台の真中ですけど。
 やはり勝つ事がすべての証明だと思います。どんなに口で「いいよ、すごいよ」といったところで、なんの説得力もありません。勝って結果を出して初めてその優位性に納得してくれるわけですから。それはタイヤにしてもチームにしても、もちろんドライバーとしての自分自身も同じことです。
 時々アメリカのメジャーリーグ中継を見るんですが、背景にハンコックの球場看板が見えるんですよ。そんなのを見ても、世界規模で事業展開しているタイヤの開発という大きなプロジェクトの中で重要な位置にいることを痛感します。それはかなり大きなプレッシャーですが、そのプレッシャーの中で、自分をかきたてていくということが自分自身の向上につながるし、やりがいにもなっています。(以下次号)

木下みつひろ(きのした・みつひろ)
1965年生 長野県出身

'81年、高校2年の時レーシングカート・デビュー戦初優勝。'86年、レーシングカート・全日本ナショナルFA/A1クラス参戦・優勝。'87年富士フレッシュマンレースデビュー。'88年、富士フレッシュマンレース・レビン/トレノクラス優勝2回・2位1回(全6戦)。'89富士フレッシュマンレース・NA-1600クラス優勝2回・2位1回(全4戦)。'90年、富士フレッシュマンレース・NA-1600クラス優勝4回・総合優勝。'91年ミラージュカップ参戦・シリーズチャンピオン。'92年、シビックインターカップ参戦・シリーズチャンピオン。'93年フォーミュラ・トヨタ参戦優勝7回・2位2回(全9戦・最多優勝回数記録樹立)シリーズチャンピオン。N1耐久参戦、全日本F3選手権デビュー。'94年、全日本F3選手権、JTCC参戦。'95年、JTCC参戦・ルーキー賞獲得、N1耐久参戦・TIラウンド優勝。'96年、JTCC参戦・入賞、スーパーN1耐久参戦 優勝2回・シリーズ3位。'97年〜、全日本GT選手権参戦、スーパー耐久参戦(1クラス鈴鹿サーキットコースレコード樹立)。'99年メモリアルレース アルテッツァ・ワンメイクレース優勝。2000年、十勝24H GTクラス・総合優勝。2001年、スーパー耐久Nプラスクラス参戦。2002年、スーパー耐久クラス1シリーズチャンピオン、全日本GT選手権GT300クラス4位。2003年、スーパー耐久、スーパーGT300クラス共にシリーズチャンピオン。
レーシングドライバー。

 



 
 
 

 
  
 
 
 

ハンコック本社のスタッフと。韓国側スタッフの素早い対応と強い意気込みに打たれたいう。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
  車両のメンテナンスは武田敏明氏が率いるKTRが担当。ダイヤの開発も共同で行う。
(写真は第6戦鈴鹿のスポーツ走行時)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  #33ハンコックNSCポルシェのデビューとなった第2戦、岡山。坂本祐也選手をパートナーに10位のリザルトとなった。
 
  
  
 
 
 
 
 
 
  第5戦の菅生では3位入賞、早くも初の表彰台を決めた。

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