趣味の日本車雑誌「ジェイズ・ティーポ」。
日本車にこだわりながら、新旧含めてクルマの楽しみを提供している。
このところ手頃な大きさに走る楽しみを満載したクルマ、
ボーイズレーサーに注目し3月号でも特集を組んでいる。
今回も編集長、鵜飼氏にお話しをうかがった。

服系とおもちゃ系。

 クルマの楽しみ方は大きく2つに分かれると思うんですよ。一つはクルマに似合うお店だとか場所にいく時に乗って、服のように楽しむ楽しみ方。もうひとつはガンガン走らせて、おもちゃとして遊ぶ楽しみ方。アメ車でクルマ好きになった僕の場合は服の様に楽しむ方だったんですね。クルマが汚れたり傷んだりするのは可哀想だと思っていましたから、ガンガン走らせて遊ぶという感覚はありませんでした。学生の頃バイトしていたガソリンスタンドの仲間は走り屋系が多くて、僕だけ服系。だから、ちょっと浮いてましたね(笑)。
 車雑誌の編集の仕事に関わるようになって、いろんな視点でクルマを見るようになり、サーキットレース、ゼロヨンなどモータースポーツに参加する機会もあって、クルマの楽しみ方全てを肯定するようになりました。ただ、ジムカーナは参加したことがなかったので、ボーイズレーサーに注目して特集もやっていることだし、これは体験しておいた方がいいかな、と思って昨年初めて参加したのがダイハツチャレンジという大会。そしたら、これが面白くて、ハマってしまったんですよ。

ジムカーナの楽しさを再認識。

 お借りした車輌での参加でしたが、ナンバー付の車輌でOK、普通に走ることができればだれでも参加できるという、ビギナーにも参加しやすい大会なんですね。ジムカーナは一台づつ走るので、サーキットのように後ろからくる速いクルマを気にしながらということもないので、安心して自分の走り方に集中できるのもいいところですよね。
 それから、一回の走行が短いので集中も短くて済むことや、次の走行ではこうしてみようといった工夫がしやすくて、それがタイムにすぐ表れる。絶対スピードは低いので、クラッシュする危険も少ないし、ナンバー付のノーマル車輌ならお金もあまりかからず遊べるのもいいですね。カーブではらんでしまった時に、どう操作するとどんな挙動になるのかといったことも分かって、初心者が安全にクルマを運転するためのスキルアップにも最適だと感じました。
 最初は服系だった僕ですが、モータースポーツを体験することで走ることの楽しさも知りました。ただ、例えばドリフト走行を見て“スゴイ!”と思っても“自分にはできないよ”と思うのが普通のドライバーで、モータースポーツは敷居が高いですよね。その点ジムカーナは手軽に参加できるし、操る楽しさを体感できるんで、初体験でハマってしまうほどの楽しさを伝えていきたいと思いました。


そしてボーイズレーサー。

 僕はもともと“このラインとこのラインと繋いでデザインしたらこんな大きくなっちゃった”みたいなアメ車が好きだったので、日本車はどうも小さくてコマゴマしているなあ、なんて思っていたんですよ(笑)。ところが、随分以前に“決められたワクの中で技術を磨くからこそ技術の進歩があるんだ”なんていうことを聞いて、なるほどと納得したことがありました。
 だからという訳ではないんですが、今、時速100キロ以下でも運転を楽しめるジャストなサイズが魅力のボーイズレーサーに注目していて、ジェイズ・ティーポ3月号でもボーイズレーサー特集第2弾をやってしまいました(笑)。ボーイズレーサーとして走って楽しければ新旧問わず取り上げています。現代のクルマは様々なデバイスやコンピューター制御の進歩で乗りやすく速いクルマになっていますが、実は80年代のクルマも結構速いんですよ。あまりデバイスなどが無い分、車輌が軽いのでよく走るんですね。それも楽しさですし、その時代のクルマの魅力ですよね。
 編集の仕事は、自分がのめり込んで行かなければ読者の満足や共感が得られない部分もあるし、のめり込み過ぎても狭くなるし、そこのバランス感覚をうまく保って、垣根を作らずクルマの楽しさを伝えていくことが必要です。そんな中で今年は自分自身のジムカーナにちょっとのめり込んで、参戦報告も伝えていこうかな、と思っています。


鵜飼 誠(うかい・まこと)
1973年 愛知県生まれ

子供の頃に家族が転居し神奈川に育つ。大学卒業後、株式会社ネコ・パブリッシングに入社、デイトナ編集部に配属され編集者としての仕事をスタート。その後、カー・マガジン編集部を経て、2005年からジェイズ・ティーポ編集長、2007年からホンダ・スタイル編集長を兼任。誌面ではキャル吉の名前でも登場。
http://www.j-tipo.com/
 
  ジムカーナ出走前にドライビングポジションを確認する鵜飼氏。「クルマ雑誌の編集者なのに、実はジムカーナは初参加なんです(笑)」とのこと。この時の参戦レポートはジェイズ・ティーポ3月号に掲載されている。
 
 
 
 
 
 
 

ジェイズ・ティーポ3月号(1月16日発売)
 
 
 
 

 
  ダイハツ・チャレンジカップで走行中の鵜飼氏。この日は4本走行し、毎回タイムを短縮。「ルーキーとしてはまあまあ(笑)。」と納得。副編集長とのダブルエントリーのためゼッケンは二つ。
 
 
 
  愛車はアメリカならではの車輌ジャンル、セダンピックアップの1970 フォード・ランチェロ・スクワイア(手前)と1983 マーキュリー・ゼファーZ7 GS。「夢はランチェロで大好きな沖縄を走ってみたいこと。今年の夏こそは、といつも思うのですが」。
 
  模型屋さんの店頭ではなく、鵜飼氏のクルマキットのコレクション。これでも一部に過ぎないらしい。
 
 
 
 
  鵜飼氏の車好きに多大な影響を与えたお母様が新車で購入したグロリアのワゴン。鵜飼氏が免許をとって最初に乗った思い出の1台でもある。「最高の『癒しグルマ』でもあり『モテグルマ』でしたね」。
 

 

マンガ“サーキットの狼”とともに'70年代に巻き起こったスーパーカーブーム。
子供たちを中心に社会現象となるほどの熱狂だった。
それから約10年後、'80年代の終わりに訪れたバブル期に
再びスーパーカーブームが起こる。
これは子供たちのヒーローではなく実際の購入対象・投機対象という色合いが濃く、
バブルの崩壊とともにブームも終焉を迎える。
この一次、二次を経て、現在は第三次スーパーカーブームを迎えている。
こうしたスーパーカーをメインに扱う雑誌として'97年に誕生した「ROSSO」。
今回はその三代目編集長・平井大介氏にお話をうかがった。


スーパーカー四天王。

 現在、多くのスーパーカーが存在しますが、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ、これに最近はアストンマーティンを加えて便宜上スーパーカー四天王と呼んでいます。フェラーリとランボルギーニは象徴的なスーパーカー、ポルシェは乗って驚く動力性能が魅力。アストンマーティンはこうしたスーパーカーとは違う魅力があります。スーパーカーの多くは乗る側にそれなりの気構えや力を要求するんですが、アストンマーティンは高級GTカーの魅力で、例えば女性をエスコートする大人の男の魅力(笑)。内装の色使いや落ち着きに英国の伝統を感じますね。
 四天王以外にも魅力を感じるクルマはあります。例えばマセラティ。エンジンがフェラーリということもありますが、アクセルを踏むともう脳がとろけそう(笑)。加速の仕方やスピードの出方が官能的なんです。その他イタリアのパガーニ、日本の光岡など小規模な生産でスーパーカーを生み出しているメーカーもありますし、現在では大メーカーもこの市場の魅力に気づいて参入してきている状況がありますね。フォルクスワーゲンのような巨大メーカーもブガッティとしてスーパーカーを作っていますし。
 どんなクルマが熱い思いにさせてくれるか。今、メーカーもオーナーもそれぞれにスーパーカーを見つけて育てています。それがこの第三次スーパーカー時代を作っているんだと思います。

究極を突き抜けて進化。

 僕は35才になりますが、30年前に第一次スーパーカーブームの洗礼を受けた子供でした。その頃のスーパーカー少年のアイドルはやはりカウンタックや512BB。3歳頃からミニカーを集め、街道を行く車の名前を当てて楽しむような子供で、小学校の卒業文集にはすでに「将来は車関係の仕事に」と書いてましたね(笑)。クルマ雑誌の編集という仕事を知ったのは車雑誌を読み始めた中学時代です。
 そんなでしたから、大学での就職活動もやはりクルマ関係ばかり。カーディーラーはもちろん「毎日車の運転ができる」とタクシー運転手まで検討しましたが(笑)、縁があって今の会社に新卒で入社することができ、夢がかなったといえますね。最初は広告部に配属、その後カーマガジン編集部を経て、イタリア車好きを買われたのか'99年からROSSO編集部に入りました。最初に担当したのがランボルギーニなどの歴史モノ。これが楽しくて、スーパーカー少年の頃の心が蘇ってその魅力を再認識しましたね。
 取材で最新のスーパーカーと出会いますが、いつも「もう究極なのでは」「もうこれを越えられないだろう」と思うんです。ですから次の新型では「まあそれほど進化していないだろう」と思って行ってみると、予測を二倍も越えるような驚きに出会うんですよ。例えば最新のフェラーリ430スクーデリアもそんな一台でした。パドルシフトなんかはもう、2〜3年前のF1のパドルスピードと変わらないで切り替わるんです。F1のバーチャル体験が安全にできるという感覚ですよ(笑)。フェラーリは特に市販車がレースのノウハウをフィードバックして驚く程成長し続けています。
 スーパーカーは常に限界や究極を無限に広げて行く世界なので、常に驚きがあり、そこに大きな魅力があるんですね。まだまだスーパーになってゆくのを実感しています。

情報の“質”で勝負。

  今、雑誌は情報の“即時性”という点でインターネットにかないません。ではどこで勝負するか。それは情報の“質の高さ”だと考えています。現場でリアルに「スゴイ!」と感じたものを現場感を持って伝えるインプレッション、そして“この写真1枚のためにこの本を買ってもいい”と思っていただけるくらい美しい写真。そういった事を最も大切にして編集しています。確かに乗車したときの官能的な感覚を伝えるのは難しいし、最近のクルマはボディラインが複雑なので写真を撮るのもなかなか難しいんです。でも、読者がいつまでも大切に持っていたくなるようなページを1ページでも多く作りたい。それが雑誌の生命線だと思って努力しています。
 ROSSOはスーパーカー専門誌といわれますけど、僕自身はそう思っていないんですよ(笑)。もちろんスーパーカーがメインコンテンツですが、そこを中心にもう少し幅を広く考えています。それ以外にもあるスーパーなクルマやモノ、ガレージやグッズなども含めて、クルマを楽しむその他の要素についても注目して情報提供をしていきたいと思っています。(以下次号)

 
平井 大介(ひらい・だいすけ)
1975年 千葉県生まれ

千葉県松戸市出身。大学卒業後、株式会社ネコ・パブリッシング広告部に入社、カーマガジン編集部に異動し編集者としての仕事をスタート。'97年発刊のROSSOに'99年より異動、副編集長を務め、昨年12月に編集長に就任。
http://www.rosso-mag.com/

 


'99年にROSSO編集部に配属となって数々のスーパーカーに接してきた平井氏。「スーパーカーにマヒして、例えばランボルギーニでも驚かなくなってしまうんです。ですから、驚きや感動をちゃんと伝えられるよう、目線を常に新鮮に保つようにしています。」それでも、国内で一誌だけに許されたランボルギーニ・レヴェントンの試乗はさすがに緊張したとのこと。写真はその撮影中に。
 
 
 
 

'97年誕生のROSSOは昨年6月に10周年迎えた。これを機に同年12月、副編集長だった平井氏が編集長のバトンを受ける。「編集長になってまだ日が浅いんで(笑)」と言いながらも、平井氏が目指すROSSOが着実に動き出している。毎月26日発行。
 
 
 

 
 

編集部スタッフは4名。「社長が出張で不在だったので、こっそり社長室を借りちゃいました」という集合写真。右端が編集長平井氏。
  
  

 
  現在ROSSOのLONG TERM TESTで平井氏担当するメガーヌ・ルノー・スポール5ドア。ぬめりとしたマカハグレーが存在感をアピールする。
「夜、綺麗ですよ」。ここでもユーザーが使うシチュエーションに立って魅力を話す。
 
 
 
 
  「最初のクルマがフィアットウーノターボで壊れては直しの連続。それでも、イタ車の魅力にはまってしまったんです(笑)」。以来イタリア車を乗り継ぎ、現在の愛車はモモとランチアがコラボしたスペシャルメイクのイプシロン・モモスタイル。

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