来年創刊20周年を迎える「Tipo(ティーポ)」。
その創刊時からスタッフとして関わり、
その中でティーポらしく「クルマを楽しむ」企画を
次々と打ち出してきたのが現編集長、嶋田智之氏。
「やりたいと思ったらやらないと気が済まないんですよ(笑)」という
行動力と熱い想い、そして独自の企画が誌面に溢れ
“クルマファンのバイブル的月刊誌”となっている。
そんな企画の裏側やそこに込めた想いなどを伺った。

スーパーセブンでレース。

 ティーポがスタートして3年目くらいの時、スーパーセブンレースの参戦レポートを連載しました。このキッカケになったのは『真冬にスーパーセブン2万キロ』というティーポらしい企画(笑)。フルオープンのセブンで寒さと戦いながら1チームほぼノンストップで2000キロ、テーマを持って10チームが走ったんですよ。恥ずかしながら、僕はクラッシュしちゃったんです。その時スーパーセブンを貸してくださった紀和商会さんから「車両は貸すからセブンのレースに出て腕を鍛えなさい」と信じられない申し出をいただいたんです。全くの素人でしたが、当時の編集長からも「そういう責任のとり方もありだろ」と応援をもらってレースを始めたのが26歳の頃でした。
 始めてみるとハマリましたね。自分の運転のダメさ加減がどんどん分かってくるんです。アクセルが早い、ブレーキが遅い、ステアリングやスロットル操作が雑(笑)。意識してうまくなろうと努力していくと、車を操ることがすごく楽しくなってきて、交差点の曲がり方ひとつでも勉強になるし、サーキットのラップタイムが0.01秒縮むのが嬉しいんですよ。3年くらいでそれなりに走れるようになった頃に昔の運転を思い返してみると、あんなものは運転ではなかったと思うくらい(笑)。そんな体験を記事にしてました。
 僕は闘争心があまりなくて、クルマをキレイに完全に制御していて走りたいとは思うけれど、あんまりレースには向いてないんですよ。'98年にレースを止めましたが、少しはマトモに走れるようになったこと以外にも、当時のレース界の状況や問題点なども身近に感じることができ、レースを通じて得たものは大きかったですね。

5万円カーライフ。

 輸入車だって安く楽しもうという“激安輸入車ライフ”もティーポが作った流れでしょうね。キッカケは友人がクルマを買い替える時、彼が乗っていたシトロエンBXを「5万円なら買うよ」と言って手に入れたこと。シトロエンは壊れるクルマの代表みたいに思われていた上に“5万円”ですからね(笑)、ロクなものじゃないという固定観念がありました。でも“そんなことはないだろう”と思ったんです。もちろん、乗りっぱなしでは必ず壊れますが、乗り方次第ではそんなに壊れるものじゃない。それを伝えたかったんです。
 趣味性の高い車の中古車は先達が苦労してきたデータがあるので、どこがどう壊れやすく、永く乗るにはどこを直しておけば良いかがほぼ判ってるんです。ですから、まずBXの悪いところは全て直しました。一度初期化してしまえば、しばらくの間は愉しんで乗れることを自分で実証したかった。このBXには約7年間10万キロ乗りましたが、巷で囁かれるように“出先で壊れて帰れなくなる”ということは一度もありませんでしたね。調子にのって、その後もアルファロメオ164、ミニ1000オートマチックなどの5万円とか6万円の激安輸入車を手に入れちゃったりして……。
 クルマも人と同じで予防医学が大切なんですね。壊れてから直すより、先手を打つメンテナンス。だからその車種に豊富な経験と知識がある主治医のようなショップとお付き合いすることも大切なポイントなんです。そんな風にクルマを永く楽しんでもらいたいし、古い車には苦労した先達が必ずいて経験を話してくれますから、そこから仲間が広がってゆくのもクルマの楽しみですね。


クルマの楽しさは続く。

 僕はジャーナリストではなくエンターティナーのつもりでいますから、クルマの未来もその視点で見ているようなところはあります。化石燃料はやはりいずれはなくなっていきますし、エコはさらに重要になり、メーカーは電気自動車やハイブリッドはもちろん、いろんな原動機を使った地球に優しいクルマの開発に、さらに力を注いでいくでしょう。でも、そうなっても、やっぱりクルマはつまらなくはならないと思うんです。確かに、たとえばサウンドという点でモーターは物足りないかもしれませんが、ガソリンエンジンも100年の歴史を経て「アルファの音っていいね」「ランボルは牛だけあって猛々しいね」という世界が確立されてきたわけです。ですから、100年後には「アルファのモーターはいい音で鳴くね」なんてTipoが書いているかもしれない(笑)。
 重要なのは、クルマの本質が『自分で運転して移動するもの』である限り『クルマは楽しい存在』であり続けるということだと思います。子供の頃に遊園地で乗ったバッテリーカートの楽しさを思い出してみてください。運転することの感動や楽しさはエコな時代のクルマにも必ず繋がっているんです。
 来年の創刊20周年に向けて、Tipoらしいと感じてもらえる企画を計画していますし、それ以外にも新たな企画を暖めていますので、楽しみにしていてください。


 
嶋田 智之(しまだともゆき)
1964年生 埼玉県出身

1985年にネコ・パブリッシングに入社、カーマガジン編集部を経て、創刊スタッフとしてTipoに異動、二代目編集長に就任してそろそろ10年。編集業務の傍らトークショーなどでも活躍。
Tipoホームページ http://www.tipo-mag.com/
ブログ:編集部Tの新本日も場外乱闘 
http://www.hobidas.com/blog/tipo/rantou/
 
  最近はパドルシフトのセミATが増えているが「MTにもオーソドックスなATにもそれぞれいいところがあるし、どれに乗っても楽しいと思える」 という嶋田氏。肝心なのはクルマ自身ではなく、そのクルマをどう楽しめるか、という乗り手の姿勢にあるのかもしれない。(ランボルギーニ・ムルシエラゴのコクピットにて)
 
 
 
 
 
 
 

Tipoは毎月6日発行。
写真は2008年8月号。
 
 
 
 
 
 

 
  Tipoはマニアックなクルマも扱う雑誌だが、サンデーメカニック的な記事がなく“油っぽさがない”と言われる。「餅は餅屋でメンテナンスは専門のプロに任せる、というのが個人的なポリシーなんです。だから、かな……?」。写真は嶋田氏の所有するロータス・エラン・スプリント。専門の工場で復活の日を待つ。
 
 
 
 
 
 
  Tipo7月号で特集したエコラン特集でのロケ。一番左“お控えなすって”のポーズの嶋田氏と編集部一同。中央はTipo出身のモータージャーナリストにしてエコドライブ・インストラクターの石井昌道氏。
 
 
 
 
 
 
  2008年3月、フェラーリ612スカリエッティでインドをグルリと1周するフェラーリ主催のツアーイベント「Magic India Discovery」に参加した嶋田氏。ハンドルを握るのは世界中から招かれた50名のジャーナリストのみ。その中の名誉ある一人として、高速道路逆走も日常茶飯事というほど特殊なインドの交通事情の中、無事その重責を果たした。
 

 

自身のレース経験を活かした丁寧なクルマ分析に定評がある
モータージャーナリスト、石井昌道氏。
古くからのTipo読者には編集スタッフ“生倉ボン”の名前に
親しみを感じるかもしれない。
Tipo編集部を経て、
現在は省エネルギーセンターのエコドライブ・インストラクターを務めるなど、
モータージャーナリストとしてクルマ本来の楽しさと
「エコ」の関係に真っ正面から取り組んでいる。
今回はそんな石井昌道氏にお話を伺がった。


編集の面白さを実感。

 編集の世界に入ったのは、大学でフラフラしていたボクに雑誌の編集者だった知人が「就職はどうするんだ」と世話を焼いてくれたのがキッカケで「クルマ好きならクルマ雑誌のバイトでもやれ」と紹介してくれたのが『Tipo』。大学3年生の時でした。編集者を目指したのではなく、バイトからそのまま居着いてしまったのが正直なところで、就職活動もしてないんです(笑)。
 最初は本の発送などの雑用、その後読者のページや新製品のページを担当するようになりました。当時の編集部はマンションの一室で、まだ創刊10号ぐらいのTipoはまったく売れてなかった(笑)。イベントなどの取材先でも「Tipoって何?」みたいな反応だったし、日本一周企画で予告した訪問地に着いても出迎えは2〜3人程度。
 それが2年位経つと、Tipoのステッカーはすぐになくなるし、ハガキは処理しきれない位届くようになり、日本一周企画も人員整理が必要なほどになりました。ボクと同世代の読者が多かったようで、励ましのお便りをいただいたり、こちらのミスで受けたお叱りやクレームを『申し訳ございませんでした』とそのまま誌上でさらけ出したら、逆にそれが評判になったり。だんだん右肩上がりに売れて行く過程での読者とのやり取りは、本当に面白かったですね。そんな成長期に立ち会えたことで編集者としての仕事の面白さに目覚めたように思います。読者に成長させてもらったと感じています。

走りに目覚めて。

 ボクはスーパーカーブーム世代で、住んでいたのが当時スーパーカーの有名ショップが並ぶ環八(東京環状八号線)沿いでしたから、初めて夢中になったのはやはりスーパーカーですね。それから族車系。昔はそんなのが環八をバリバリ流していましたから、その影響で(笑)。次に国産車のハイパワー競争時代になり、ハイパワー車に興味が移っていきました。高校生になるとクルマ雑誌で知識だけは増えて次第にエンスー系志向になっていきましたが、大学4年で初めて自分のクルマを買う時にはハイパワーではない走り系のクルマに好みが変わって、プジョー205GTIと迷った挙げ句、ユーノスロードスターを購入しました。
 Tipoに入った頃はまだ自分のクルマはなくて、家族や友人のクルマを借りて乗る程度で、知識はあっても実践が伴わない耳年増状態。そんな中でロードスターを買ったんですが、自分で思うほど運転が上手くないことに気付いたんです。取材でレーシングドライバーやモータージャーナリストの話を聞いても実際に運転していないと理解できないことがあって「これはマズイ」とドライビングテクニック向上の必要性を強く感じたんです。だから、本来Tipo的には『エンスー道まっしぐら』のハズが、ボクの場合ドライビングスクールに行き、サーキットを走り、レースへの本格エントリーと『走りまっしぐら』に突っ走ってしまいました(笑)。その経緯をTipoに連載しましたが、最初は雑誌の内容とマッチしないので編集部内でもいい顔をされなかったんです(笑)。でも、徐々に本流である伊車や仏車のレースが行われるようになり、ボクの出番がまわってきたんですよ。

レースカーはグルメ料理。

 レースは'92年に初めて参加し、'02年まで全日本選手権クラスで走りました。その中で培った知識や経験は大きくて、ボクのクルマに対する考え方のベースにもなっています。また、そこでしか出会えないような人達との人間関係が生まれたことも大きな財産ですね。
 レースの面白さは走ることだけではありません。例えばN1クラスのクルマでも、市販車をベースにレーシングパーツを各部に使い、軽量化や補強をしてもう一回組み直す。タイヤも高いグリップ性能を発揮する反面、15周程度でなくなってしまうスリック。市販車では使えないような高価な部品や材料を使うわけで、料理でいえば最高の素材をふんだんに使用したグルメ料理のようなもの。そんな贅沢なクルマを味わえることもレースの魅力だと思いましたね。
 そうした経験を積む中で、企画、取材、原稿依頼と様々な仕事をこなす編集者から、どこか一つに徹したいと思うようになりました。レースでいえばメカニックとドライバーとマネージャーを一人でこなすような感じだったので、分業して一つの役割に徹すれば、仕事の内容を深めていけると思ったんです。それで14年間お世話になったTipo編集部から独立してジャーナリストになる決心をしたんです。(以下次号)

 
石井 昌道(いしい まさみち)
1967年生 東京都出身

富士フレッシュマン・レースにも参戦経験をもつ、元Tipo誌の副編集長にして現在フリーランス・ジャーナリスト。丁寧なクルマ分析には定評がある。クルマ雑誌のみならず一般誌にもそのフィールドを広げ活躍中。かつてはレア車を乗り継いでいたが、今はハイブリッドにゾッコン。現在、省エネルギーセンターのエコドライブ・インストラクターを務める。

駆け出し編集者時代、ドライビングテクニック修得するために始めた“修行”は本格的なレース参戦へと発展し「一時は本気でレーシングドライバーを目指そうかと思ったこともありました(笑)」。その後もジャーナリストとして様々なイベントレースに参加。「メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」では'06年、'07年と連続優勝を果たしている。
 
 
 
 
 
 

ドライビングテクニック追求の原点、「生倉ボンのまじめな武者修行 Vol.1」(Tipo No.24 1991 6月号掲載)。“編集者は「速く走る」必要はない。大切なのは、安全に、そしていかにクルマに負担をかけないように「スムーズに走る」ことができるかだ。この2つは全く別物というわけではないし、ボクは片方ができれば両方ができるのではないかと考えている”と書いている。以後、石井氏のドラテク修行が連載され、人気のコーナーとなっていった。
 
 
 
 
 

 
 

ドラテク追求の開眼から2年目の'93年には富士フレッシュマンレースにデビュー、ユーノスロードスターN1クラスにフルエントリーした。翌'94年には最終戦で5位を獲得。この参戦レポートもTipoに連載された。
  
 
 
 
 

 
  '95年からミラージュワンメイクレースの地方戦“ミラージュ・カープラザカップ・シリーズ”に参戦、'96年には全国区の“ミラージュ・インターナショナル・ラリーアートカップ・シリーズ”にステップアップし本格的にレースのキャリアを積んでいく。(写真は'97年のティーポRTスノコミラージュ)
 
 

Copyright © 2008 ENKEI Corporation All Rights Reserved.
ENKEI WEBPAGE ENKEI WEBPAGE