世紀が変わった01年頃から石井氏が感じはじめたのが
「これはマズイな」というウスラ寒い思いだったという。
環境問題、エネルギー問題が非常に厳しい世の中になり、
クルマの楽しい世界が、悪者になりそうな予感。
「レースをやってきたから、余計に敏感になってたんだと思います。
加害者意識があったのかもしれません」。
どうすればこの楽しい世界を続けていけるのか、守っていけるのか。
そして、これからクルマの世界でどうやって生きていくか。
そんな問題意識を持ったまま
04年にモータージャーナリストとして独立した。
今回も石井氏にお話をうかがう。

ピンチがチャンスに。

 クルマのこれからには不安を持ったままでしたが、フリーになってすぐに資源エネルギー庁の外廓団体で『省エネルギーセンター』という所の仕事を始めました。国の政策の中でエコドライブを推進していく仕事です。ここで燃費の研究やテスト、エコドライブのインストラクターにたずさわっていくうちにエネルギー問題への理解が深まってきて、逆に“モータージャーナリストにとって面白い時代になっているのかも知れない”と思うようになったんです。
 世の中は環境やエネルギー問題でピンチなんですけど、だからこそ世界中の自動車メーカーが生き残りをかけて、内燃機関とEV(エレクトリックビークル=電気自動車)を両極にハイブリッド車、燃料電池車からクリーンディーゼル、さらに低燃費のガソリン車など色々なアイデアの新しいクルマを開発してくる。モータージャーナリストはそれに一早く乗ったり見たりできるわけですから、今までの中で一番凄い時代の節目に立ち会っているんじゃないかと感じました。昔クルマが世の中に普及してきた時と同じくらい大きな流れが、今起こっているんです。
 最終的には電気自動車だと思いますが、その世界はもう少し先になるでしょう。だから、どのエネルギーで走るクルマがいいかというのは、現在は国や地域の事情によっても違いますし、クルマの生産時点から廃棄まで含めた「生涯排出CO2」という観点で見ると、生産時に新たなCO2排出をともなう低燃費の新車に変えるより、すでに使っている車をもう少し使い続ける方がエコだという考え方もあるわけです。大切なのは、どこか一つに片寄らないで、全体のバランスを見ながら進めることで、ジャーナリストとしてそんな視点で見ていきますし、僕の感じていた不安の解決策も見えつつあるように感じています。

高まる運転への関心。

 今インストラクターをやってると、主婦の方が一生懸命「どうやったら燃料代が減らせるか」っていうので「もっと繊細にアクセルを動かして」とか指導するんですけど、こういう時代にならなかったら、その方は一生そんな運転の仕方なんて考えなかったと思うんですよ(笑)。エコドライブしてみようっていうことになると運転に興味を持つんですね。それはとてもいいことで、上手い運転は燃費にもいいし、安全にも繋がる。やってみると『なんか運転って楽しい』って言ってくれる方が二割くらいいます。
 エコドライブは限られたエネルギーでどれだけ走れるかですから、ガソリン車でもEVでも上手く運転するほど燃費や航続距離が伸びるクルマにしていけば、この時期だからこそ今まで運転に興味がなかった人もクルマ好きになる可能性があるんじゃないかと思いますね。
 今回、“CO2削減洞爺湖キャラバン”では電気自動車スバルR1eを運転させてもらい、これでエコドライブをやってみたら、ガソリン車以上に面白いんです。決定的にガソリン車と違うのは回生ブレーキです。ブレーキをかけるとモーターが発電機に変わって電池に充電される仕組みで、ガソリン車でいえばブレーキをかけるたびにガソリンが増えていくような感じ。回生ブレーキを効率良く使うと航続距離がどんどん伸びるのが快感で、運転するのが楽しくなりました。公称航続距離80キロのR1eが、計算上で135キロ走れるくらいまで伸びましたからね(笑)。


レース経験が役立つ。

 最近「絶対にこうだな」と思いはじめているのは「スポーツドライビングや楽しいクルマ趣味」と「エネルギーを効率良く使っていくエコ」という相反するように思える二つが実はそうではなく、両方一緒に押し進めないと意味がないということです。 
 僕はサーキットをガンガン走ってきたので、エコとは真逆の世界にいたように思っていましたが、クルマ好きでレースを通じての運転知識があって、エコも考えるから、今エコドライブ推進の役に立てるんだと思うんです。だから、トナリのおばさんに「燃費のいい運転は?」とか聞かれて答えてあげられる。エコも役人任せではなく、クルマ好きが考えて楽しいものにする方がいいんです。
 僕はクルマ好きの人が明るい未来を見れるようにしたいので、それには賢くエネルギーを使っていかなきゃいけない。賢くエネルギーを使うには、いいクルマがないと困る。だからいいクルマを作ってもらえるようにメーカーには働きかける。そして次にどうするかを常に考える。この循環ができると、後ろ指さされずにクルマを楽んでいけるんじゃないかと思います。そうした方向を見据えながらジャーナリストとして活動していかなければ、というのが今の僕の考えですね。


 
石井 昌道(いしい まさみち)
1967年生 東京都出身

富士フレッシュマン・レースにも参戦経験をもつ、元Tipo誌の副編集長にして現在フリーランス・ジャーナリスト。丁寧なクルマ分析には定評がある。クルマ雑誌のみならず一般誌にもそのフィールドを広げ活躍中。かつてはレア車を乗り継いでいたが、今はハイブリッドにゾッコン。現在、省エネルギーセンターのエコドライブ・インストラクターを務める。
 
  「エコドライブにはいくつかのテクニックがありますが、内燃機関のクルマは時速40キロから80キロの間が一番燃費がいいことを覚えておくといいでしょう。それ以下でもそれ以上でも燃費は悪化します。だから、できるだけその範囲にいられるような道路や状況を選択することですね。渋滞に合わないようにするとか、高速道路では速度を出しすぎないとか。また、スピードはなるべく一定に近いほうがいい。その鉄則を頭に入れて考えながら運転すると、効率がいいはずですよ」。
 
 
 
  初めてEVに乗ったのはサーキット。「EVは静かなので、タイヤがたわみ始めるほんの些細な音も聞こえるんです。だからタイヤの状態に凄く敏感になって、運転が楽しくなるんですよ」。ここ数年EVのイベントにも参加。写真は「中学生EV教室 電気フォーミュラーカーを作ろう!(財団法人せたがや文化財団生活工房主催、日本EVクラブ企画・制作)」で走行体験のドライバーを務める石井氏。
 
 
 

 
 
 

毎年ツインリンクもてぎで開催されるJOY耐に今年もシビックハイブリッドで参加。「ハイブリッドでのレースは可能性も見えつつ、レース用に作られているわけではないのでやっぱり大変(笑)。バッテリーやモーターの温度がパーッと上がって、電気も早くなくなってしまう。その辺をどうやればいいのかっていう感じで今取り組んでいます。」
(写真は#69TNSシビックハイブリッド/08.7.6ツインリンクもてぎ)
 
 

 
   
  今年の6月20日〜26日にかけて東京からサミット直前の洞爺湖までの800kmを2台のEVで走破するイベント「CO2削減EV洞爺湖キャラバン(主催:日本EVクラブ)」に参加、石井氏は東京から福島まで電気自動車スバルR1eをドライブ。「EVで長距離は初めてですが、スバルは運転次第で航続距離が伸びるので、エコドライブで航続距離をのばすことができました、いやー楽しかった(笑)」。石井氏の写真は給油ならぬ急速充電中の図。

写真撮影:三浦康史・高橋進
 
 

 

クルマ趣味の総合誌として多くの読者から支持を受ける「カー・マガジン」誌。
趣味の雑誌を数多く手掛けるネコ・パブリッシングの中で
最初に創刊されたのが同誌である。
'79年12月に「スクランブル カー・マガジン」として創刊、
'87年に名称変更を受けて「カー・マガジン」となる。
創刊号から現在に至るまで表紙を飾るBOW氏のイラストは同誌の顔ともなっている。
最新号は366号を数え、来年は創刊30周年を迎える「カー・マガジン」誌。
今回は編集長代理の藤原彦雄氏にお話しをうかがう 。


カー・マガジンのスタンス。

 カー・マガジンはネコ・パブリッシングが最初に手掛けた定期発行の雑誌です。僕は'72年生まれですから、創刊当時はまだ7才なのでその頃の事はわかりませんが(笑)。今でも編集長は創業社長である笹本の名前になっていて、僕は編集長代理という肩書きなんです。
 僕が中心になって編集をするようになったのは2000年、297号くらいからですね。それまでに20年くらいの歴史があるわけですが、それを受け継ぐにあたって特に気負いとかはありませんでした。というのも、学生時代からカー・マガジン以外のクルマの雑誌はあまり見なくて、カー・マガジンのテイストが知らず知らずに身に染み付いていたのかもしれません(笑)。
 本誌のスタンスはクルマを実用としてではなく「趣味の対象として楽しむ」ということ。そういう意味では誌面展開の可能性も無限大だと思っています。旧くても新しくても、プラモでもグッズでも、「クルマ」に関係することならば全てが興味の対象ですから。そこに、カー・マガジンというフィルターをかけて情報を提供していこうということですね。
 もう一つカー・マガジンのアイデンティティともいうべきなのが、創刊から続くBOWさんの表紙。世界的にもこうした表紙は少ないようで、もしかするとカー・マガジンの顔であり編集長はこの表紙イラストかもしれません(笑)。

絵描き志望の学生。

 クルマは子供の頃から好きで、実家は富士スピードウェイも近く、高校の通学路には富士GCの名物ドライバーだった岡本金幸さんのファクトリーなんかもあって、時々レース観戦にも行きました。でもクルマ関係に進む気はなく、絵描きになりたくて美大の志望だったんですが、まわりに反対され普通の学部を受験しました。一年目は受験に失敗し、予備校に通うために東京に出てきたんです。その頃ふと立ち寄った本屋で見たのがカー・マガジン。多分、BOWさんの表紙に惹かれて手にとったんだと思います。それまでモータースポーツ寄りでクルマを見ていたので、それとは違うジャンルに出会って「こういう楽しみ方もあるんだ」と思いましたね。それから購読するようになりました。
 大学4年になって就職せざるを得ない状況になったとき、実家が測量の仕事をしていたので、建築関係にということでハウスメーカーの就職が内定しました。その説明会で”営業車は自分持ち、2000cc以下の4ドアで白、黒、シルバーのクルマに限り会社で購入援助する”という説明にイヤ気がさしたんです(笑)。普通の学生なら諦めるんでしょうけど、美術部にいて少しトンガっていたので、そうした押し付けがどうしてもいやだった。今考えると、青いなって思いますけど(笑)。
 たまたまカー・マガジンで新卒の募集を見つけ“これだ!”と思い、ハウスメーカーの内定を蹴って、背水の陣で面接に臨み採用してもらえたのがこの世界に入るキッカケでした。

カーマガジンの仕事をしたい。

 '95年に入社し、配属されたのは総務でした。同期で編集部に配属された同僚が本に出たりするのを見ながら、悔しい思いもしていました。ただ、まわりはシャーシナンバーや個体ごとの特定でクルマを語るような人ばかり。ポルシェはポルシェとしか思っていなかった自分にはショックでしたね(笑)。これは勉強しないと、と思いました。総務にいながらも編集部に入り浸り、希望を出してカー・マガジン編集部に配置変えをしてもらえたのは入社4年目の頃でした。
 僕は編集という仕事をしたいというより「カー・マガジンの仕事」がしたかったんです。みんなよりスタートが遅かったので、三年やって芽がでなかったらやめようという決心をして編集部に入りました。おかげさまで、今日まで続けていられるんで良かったと思いますね(笑)。
 編集者として自信になったのは、275号で巻頭の特集40ページをまかされたことと“好きなことをやっていいよ”と言われて企画した288号のロータスエラン特集。エラン特集は企画から英国での取材のセッティング、原稿書きまで初めて全ての工程を自分でこなしました。自分のエランの最初のオーナーは誰だったんだ?というルーツ探しとエランのデザイナーへの取材、そしてエランで英国を走ってもみました。自分の興味で突っ走ったわけですが、仕事としてこんなことができるのも幸せですね。もちろん読者と編集サイドが興味を共有できることが条件ですが、自分が興味を持てることにスポットを当てていくことは大切にしています。(以下次号)

 
藤原 彦雄(ふじわら よしお)
1972年生まれ 静岡県出身

1995年ネコ・パブリッシング入社。総務所属後'98年にカー・マガジン編集部に異動。副編集長を経て現在編集長代理としてカー・マガジンを牽引する。
http://www.car-mag.jp/

288号(2002-6月)エラン特集の取材ページ巻頭の写真。1905年からヒルクライムのメッカとして知られる“シェルシュレイ・ウルシュ”の入り口で撮影。約50ページにわたる特集は藤原氏の個人的な思いを超えて、広くエラン愛好家の共感と好奇心をくすぐる力を持った内容に仕上げられている。(photo:Junichi-OKUMURA)
 
 
 
 
 
  藤原氏が編集者として初めて特集を担当し、自信を深める転機となった思い出深い275号と288号。
 
 
 
 
 
 
 

BOW氏の美しいイラストがカー・マガジンの大きな魅力でもある。
  
 
 
 
 

 
  カー・マガジンは毎月26日の発売。
最新号はディーノの特集。
 
 

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